日本:漢訳の受容と変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:11 UTC 版)
「外国地名および国名の漢字表記一覧」の記事における「日本:漢訳の受容と変容」の解説
日本は遣隋使を送る以前より、中国・朝鮮を通して海外の知識を得ることが多く、漢籍に記載された漢名および漢訳の地名がそのまま日本語の中に取り入れられた。日本人は万葉仮名を経て仮名文字を編み出したが、16世紀に南蛮人が渡来する頃まで、取り扱う外来の地名は漢語の地名が主であった。江戸初期に前述の『坤輿万国全図』などが日本にも伝わり、新しい漢訳地名の影響を大きく受けた。新井白石『采覧異言』(1713年)および『西洋紀聞』(1715年)も、同図を参考にして完成されたとされる。中国語からの借用表記とは別に、長崎通詞などの蘭学者が直接西洋音に触れて漢字音訳した地名表記も生まれた。また、日本語では外来の語彙の音訳用字としては仮名文字があるので、外国地名は必ずしも漢字のみで表記されてきたわけではない。たとえば、ドイツの国名の事例では、漢字表記の「度逸都蘭土」よりも仮名表記の「どいちらんと」の方が初出年代が早く、類似する仮名表記は1世紀以上使用された。田野村 (2020)は、日本語では仮名文字を使用すれば十分だったにもかかわらず、外国地名をわざわざ中国語風に漢字で音訳表記していた動機について、学術的な文章では専門用語は中国風に漢字(真名)で書きたいという心理を背景とする、日本人の衒学趣味によるものであろうと論評している。孫 (1999)は、『和蘭風説書集成』に収録されている17世紀後期の風説書には「ヱゲレス國」「イスパニヤ」「イタリヤ國」「フランス人」などの表記が出現することから、西洋の国名のカタカナ表記は、その頃には既に(少なくとも幕府内では)ほぼ定着していたとする見解を述べている。ただし、横田 (2019)によれば、江戸時代の大部分の日本人にとっては、外国地名も漢字で書くべきだと考えられていたようである。 「外国語の日本語表記」も参照
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