ビジコン
(日本計算機販売 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/02 10:03 UTC 版)
ビジコン株式会社(英: Busicom Corp.)は、東京都台東区に本社を置くコンピュータ関連製品を製造・販売する企業。
- ^ a b ビジコン 会社概要 - ウェイバックマシン(2006年8月26日アーカイブ分)
- ^ 「電卓業界ただいま異変 日本計算器が倒産 過当競争・モノ不足響く 販売部門のビジコンも」『朝日新聞』、1974年3月1日。
- ^ 瀬尾悠紀雄「電子式卓上計算機技術発展の系統化調査」『国立科学博物館技術の系統化調査報告』Vol.6、国立科学博物館産業技術史資料情報センター、2006年3月、 64頁。
- ^ NHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』第4回「電卓戦争」(1991年7月28日放送)、単行本『電子立国日本の自叙伝』下巻 pp.174-180 ママ。日本事務機械工業会か?
- ^ NHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』単行本『電子立国日本の自叙伝』下巻 pp.174-180
- ^ NHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』第5回「8ミリ角のコンピューター」(1991年8月25日放送)
- ^ 富田倫生『パソコン創世記』第一章の記述による
- ^ Busicom 141-PF、コンピュータ博物館
日本計算機販売
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:17 UTC 版)
1967年、日本計算機販売(株)(後のビジコン。以下ではビジコンと書く)に入社した。 入社後、事務ソフト部門に配属された。そういったアプリケーションの開発には興味がわかず、上司に開発部門に異動させるよう直訴し、1967年の秋に日本計算機製造(株)茨木工場に出向となり、待望の電卓開発の仕事につくことになった。 その後、相次いで開発されるICに対応するため、担当した電卓の開発チームが渡米してしまい、他の事情もあり嶋はいったんビジコンを離れる。静岡県警察に転職し科学鑑識課に勤めるも、3ヶ月後に開発の仕事ということで電卓の世界に復帰した。 そして1970年、「Intel 4004」を開発することとなる。
※この「日本計算機販売」の解説は、「嶋正利」の解説の一部です。
「日本計算機販売」を含む「嶋正利」の記事については、「嶋正利」の概要を参照ください。
- 日本計算機販売のページへのリンク