日本のトレスマシン
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1962年に日本で『101匹わんちゃん』が公開される。ちょうど1962年に日本で富士ゼロックスが設立されたため、『101匹わんちゃん』を見た東映動画がさっそくゼロックスを導入する。日本のアニメでトレスマシンが初めて使われたのが1963年放映の『狼少年 ケン』第1話である。以後、日本のアニメでトレスマシンがしばしば使われるようになった。東映動画ではゼロックスを独自に改造したシステムを使用しており、『タイガーマスク』(1969年)ではこれが存分に生かされた。 しかし、ゼロックスはシステムが大掛かりで維持費がかかりすぎる、と言う問題があった。そのため東映動画は、東映動画に絵コンテ印刷機を納入していた株式会社城西デュプロ(後のデュプロ・システム)に、もっと簡易なトレスマシンの制作を依頼する。 デュプロは1967年にトレスマシン「R-631型」を完成させた。これが初めて使われたのが1968年放映の『サスケ』(TSJ、現・エイケン)で、ゼロックスと比べて線がかすれるなど品質にやや問題があったが、それがかえって、当時の流行であった劇画の荒々しいタッチの描線としてセルに転写できることから、1969年以降のアニメではマシントレスの使用が一般的となった。東映動画自身は、既にゼロックスを導入していることからデュプロのトレスマシンの導入がやや遅れ、1968年秋放映の『魔法使い サリー』からとなった。 デュプロのトレスマシンは、ゼロックスのゼログラフィ方式とは違い、鉛筆の芯、つまり黒鉛をカーボン紙に反応させてコピーする熱転写方式の機械である。「キャリア」と言う板の上に、線画が描かれた紙を置き、その上にカーボン紙を敷き、セルをその上に載せる。これをトレスマシンのローラーに一気に通すと、マシンの熱で線画の黒い所が加熱され、その熱でカーボン紙のカーボンがセルに転写され、絵がセルに転写されて出てくる。ゼロックスだとセルの表に線画がトレスされるのに対して、デュプロのトレスマシンはセルの裏に線画がトレスされる。アニメの色はセルの裏から塗るので、デュプロのトレスマシンだとトレスの線が「堤防」となって色がはみ出ないで済むので、アニメーターに好評だった。色鉛筆やボールペンはトレスマシンに反応しないので、影は色鉛筆で、影指定線はボールペンで書くのが多かった。 デュプロのトレスマシンは、1977年には後継機となるTR-77S、1988年にはTR-88Sが発売された。デュプロのトレスマシンは150社以上の製作会社において採用され、1990年代までの日本のほぼすべてのアニメ作品で使われた。 しかし1990年代に入ると、アニメをCGで作るようになり、トレスマシンは次第に使われなくなった。東映動画は1996年にデジタルアニメ制作ソフト「RETAS! PRO」を導入。スタジオジブリは1997年公開の『もののけ姫』でデジタルアニメ制作ソフト「Toonz」を導入。 2021年現在でもアナログとデジタルを併用しているスタジオは多いが、普通はセルを使わずスキャナでスキャンしてデジタル化して合成するため、トレスマシンはほとんど使われていない。一方で、スタジオジブリでは背景画の撮影の為に撮影台を使ってデジカメで撮影してデジタル化しており、「ハーモニー処理」(セル画のキャラに背景のようなタッチを加えて背景と馴染ませるテクニック)の為に2021年2月現在でもトレスマシンが現役で使われている。ただしすでに生産されておらず、補修部品もないため、2021年5月、スタジオジブリで使われていたトレスマシン「TR-88S」が故障し退役した。
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