日本のトリッキング界の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 07:07 UTC 版)
「トリッキング」の記事における「日本のトリッキング界の歴史」の解説
トリッキングの普及はインターネットを通して起きたものの為発生は不明だが2000〜2007年初頭に入ってきたとされ、2008年後半には東京の「つばさ基地」というジムで教室が開講している。[2] 当初はトリッキングという名称が普及しておらず、「3Dアクロバット」「マーシャルアーツトリッキング」など様々な呼称があった。日本での第一人者として前身であるXMAを体系化・普及させた杉口秀樹・神戸豊、XMAとトリッキングが分化した後に世界大会で初の日本人優勝者となったDaisukeが挙げられる。 また、ZEN(島田善)はパルクールとトリッキングを並行して行っており、メディア露出の面で大きく貢献していると言える。 日本でも大会は毎年行われており、2011年に大阪で初めてのトリッキング全国大会「All Japan Tricking Battle(AJTB)」が行われた。 アクション映画やゲーム、CMなどによるメディア露出の増加も相まって急速に盛り上がりを見せ、2016年にトリッキング協会が設立されると共に神戸にて最大規模の全国大会「トリッキングバトルオブジャパン」が行われDaisukeが優勝する。この優勝をきっかけにテレビや広告媒体に起用されトリッキング普及のきっかけになる。その後オランダの世界大会「Hooked」に招待選手としてDaisukeが招待され初出場、アジア人初優勝を収める。 2018年、Hooked出場のShoseiが世界一に輝く。
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