日本のアイスホッケー事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:18 UTC 版)
「アイスホッケー」の記事における「日本のアイスホッケー事情」の解説
1915年に初めて日本に用具が輸入され諏訪湖でプレイされた記録が残っている。その後、学生を中心に競技が実施されることとなるが、時を重ねるにつれて寒冷地の労働者の娯楽として発達した。時を経て、1966年に製紙企業の実業団を中心とした5チームで日本アイスホッケーリーグが開幕し、同リーグを中心に競技が発展してきた。しかしながら2000年前後に長引く不況により、親会社が業績不振となりアイスホッケー部の廃部や統合が相次ぎ国内のチームは減少していった。2003年、韓国のチームと共にアジアリーグを構築し、リーグ戦を実施。現在まで中国やロシア(サハリン)のチームの参加・脱退はあるものの、国内新規チームの創部・加入もあり、幾多のリーグの再編を経ながら国内のチームはクラブ化によりプロ競技・チームの存続を維持してきた。2008年に西武プリンスラビッツが廃部し、2019年に横浜グリッツが創部されるまでの間、首都圏に於けるプロチームが存在しない期間が続いた。2021年に王子イーグルスがクラブ化にしたことに伴い、実業団チームは消滅した。 北海道の苫小牧市、釧路市で特にアイスホッケーが盛んであり、""氷都""と呼ばれる。他にも帯広市、札幌市、青森県の八戸市や栃木県の日光市なども競技が盛んな地域である。以前は日本のアイスホッケー選手の大多数が苫小牧市や釧路市など北海道の出身であったが、近年では、東京や埼玉出身の選手が北海道の高校に進学して活躍することが増えている。氷上でプレーする競技という特性上、スケートリンクの施設が不可欠であるため、競技人口はスケートリンクの所在に左右される。近年は施設の老朽化などによりスケートリンクが廃止され、競技環境としては悪化傾向にある。その様な厳しい環境ではあるが、2018年平昌オリンピック・2022年北京オリンピックに於いてスマイルジャパンが活躍したこと、上述の通りプロリーグの活性化により僅かではあるが、徐々にアイスホッケーの認知度は上昇し参加人口も増加傾向にある。
※この「日本のアイスホッケー事情」の解説は、「アイスホッケー」の解説の一部です。
「日本のアイスホッケー事情」を含む「アイスホッケー」の記事については、「アイスホッケー」の概要を参照ください。
- 日本のアイスホッケー事情のページへのリンク