日本のはげ山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:08 UTC 版)
日本では、かつて生活に必要な薪、木炭等の生産を目的に森林が乱伐、放置されてできたはげ山を含む荒廃地が全国に多数存在した。 1894年、志賀泰山(東京帝国大学農科大学教授)の論文によれば、森林面積のうち木に覆われている面積は30%、残り70%は「赭山禿峰(しゃざんとくほう)」であると言及している(ただし、当時の状況から正確性には疑問が生じる余地がある)[要出典]。 1944年年度には、第二次世界大戦が激化したことから決戦非常措置要綱に基づき、一般的な造林事業を含む森林治水事業は食料増産、電力の増強に直接効果がないものとして停止された。一方で、軍需用を中心とした木材や燃料の増産運動は続いたため、伐採された後に植林されないまま放置される山域が拡大し、戦後にはげ山化を助長する一端となった。 過去の具体的なはげ山の面積については、戦後の1946年から1947年にかけて行われた全国調査による数字があり、はげ山の面積は国有林7,282町歩(他に崩壊地14,874町歩、地すべり787町歩、海岸砂地11,140町歩)、民有林28,832町歩(他に崩壊地183,284町歩、地すべり20,007町歩、海岸砂地30,950町歩)が計上されている。 日本の代表的なはげ山は、以下のとおりである。 襟裳岬周辺(北海道幌泉郡えりも町):入植に伴う森林の伐採によるはげ山化 足尾銅山周辺(栃木県上都賀郡足尾町、現:日光市):銅山開発に伴う労働者の集中による資材化、足尾銅山の煙害などに伴うはげ山化 荒神山周辺(滋賀県彦根市) :住民の生活苦による樹木の乱伐。後に植林して回復。 田上山周辺(滋賀県大津市):平城京建設以来の資材供給に伴うはげ山化。明治以降は治山事業による植林が行われている 六甲山周辺(兵庫県神戸市):神戸港開港に伴う薪炭の供給に伴うはげ山化 中国山地:たたら製鉄に伴う薪炭の供給に伴うはげ山化
※この「日本のはげ山」の解説は、「はげ山」の解説の一部です。
「日本のはげ山」を含む「はげ山」の記事については、「はげ山」の概要を参照ください。
- 日本のはげ山のページへのリンク