日本のなぞなぞとは? わかりやすく解説

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日本のなぞなぞ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 06:21 UTC 版)

なぞなぞ」の記事における「日本のなぞなぞ」の解説

奈良時代編纂された万葉集には、「戯書」と呼ばれる万葉仮名使った強引な当て字による言語表現があり、なぞなぞ通じ遊び心酌み取ることができる。日本最初になぞなぞ始めたとされるのは、嵯峨天皇の「『子子子子子子子子子子子子』を読めと言われている[要出典]。 平安時代にはなぞなぞは「なぞなぞ物語」と呼ばれており、貴族のあいだでは歌合から派生したなぞなぞ合(あわせ)」が行われた。なぞなぞ合は左右に分かれて互いに和歌知識婉曲に問うもので、返答答え含めた和歌詠むことで行われた鎌倉時代に入るとなぞなぞ物語は「なぞなぞ」「なぞたて」と呼ばれるようになり、質問和歌より盛んになった連歌技法である賦物の影響を受けるようになった中御門宣胤日記宣胤卿記』には当時なぞなぞ収録され、宣胤が謎連歌自作した記事残されている。 室町時代には宮中以外でも、文芸好きの僧侶や侍によってなぞなぞ楽しまれるようになり、後柏原天皇後奈良天皇真筆と言われる宸翰本『なぞたて』など、なぞなぞ集が作られるようになった。しかし、江戸時代に入るとなぞなぞ大衆化演芸化し連歌流れをくむなぞなぞ埋没してしまった。 江戸時代より伝承されているなぞなぞには、「なーんだ」「なんでしょう」などで問いかける二段謎と、今日でも寄席芸のひとつである都々逸大喜利なぞかけとして創作されている「○○とかけて、△△と解く、その心は」という三段謎がある。問い答え答え解説から成る三段謎は、江戸時代初期歌舞伎踊り歌詞見られるように演芸話芸などの興業や、なぞなぞ本として盛んに出版された。 現代日本では最後の「何だ」という文句を「なーーんだ」と節をつけて歌うように語る事が多い。 なお、なぞなぞ一種である「絵解きなぞなぞ」の起源は、平安時代から江戸時代初期にかけて完成された「判じ物」(はんじもの)(※判じ絵語り絵、絵考(絵考え)などとも呼ばれる)にある。

※この「日本のなぞなぞ」の解説は、「なぞなぞ」の解説の一部です。
「日本のなぞなぞ」を含む「なぞなぞ」の記事については、「なぞなぞ」の概要を参照ください。

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