日本における生祠とは? わかりやすく解説

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日本における生祠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 02:22 UTC 版)

生祀」の記事における「日本における生祠」の解説

自己の霊魂祀る生祀は、長命を得るため、あるいは死後に神となるために行われた大国主命が自らの奇魂幸魂三諸山三輪山)に祀った故事由来するとされる自己の霊魂祀った生祀文献上で最も古い事例は、平安時代923年伊勢神宮外宮神官であった松木春彦824年 - 924年)が、伊勢度会郡尾部で、石に自己の霊魂鎮め祀ったことである。江戸時代松平定信1797年奥州白河城自分生祀成立した例がある。生祀江戸時代増えたが、それは中国思想影響であろうという。江戸時代に、山崎闇斎儒教礼式参考祭式考案し、自らの霊魂祀った。その生祀1671年京都自邸垂加霊社成立したのである。これ以後も、神道家平田派国学者によって、それぞれ独自の祭式自己の霊魂祀った生祀研究加藤玄智1873年 - 1965年)が有名である。加藤によれば判明している生祀670あり、新し生祀1931年8月北海道日高国浦河町祀られた西忠義(西義一の父。)のものである明治天皇生祀1876年明治9年宮城県石巻港に、1893年明治26年上伊那郡小野村矢彦神社境内に、建立された。明治天皇昭憲皇太后生祀1887年明治20年)および1904年明治37年)に2箇所に、大正天皇生祀1911年明治44年北海道日高国門別村に、貞明皇后生祀1913年大正2年広島県広瀬町に、秩父宮雍仁親王高松宮宣仁親王生祀1924年大正13年姫路市同心町成立した昭和天皇生祀1923年大正12年北海道十勝国本別村義経山上に、昭和天皇香淳皇后生祀1928年昭和3年広島市広瀬町成立した

※この「日本における生祠」の解説は、「生祀」の解説の一部です。
「日本における生祠」を含む「生祀」の記事については、「生祀」の概要を参照ください。

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