日本における生薬学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/01 16:29 UTC 版)
日本において生薬学という学問上の名称が用いられたのは明治13年(1880年)からであり、東京医学校製薬学科の別課である通学生教場にて日本人教師が日本語で講義する必要性が生じたため、当時助教授であった大井玄洞が J.W.Wingand の "Lehrbuch der Pharmakognosie" などの書籍を参考に教科書を作るあたり、ドイツ語の Pharmakognosie(これはギリシャ語の pharmakon(薬物)と gnosis(知識)からの造語)に「生薬学」の訳をあて、『生薬学』、『生薬学図譜』を刊行したものである。 その後、ドイツ留学から帰国した下山順一郎が明治20年(1887年)帝国大学生薬学講座の初代教授に就任し、生薬学の基礎を確立した。
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