日本における女声合唱とは? わかりやすく解説

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日本における女声合唱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 22:31 UTC 版)

女声合唱」の記事における「日本における女声合唱」の解説

戦前から盛んであった男声合唱対し女声合唱日本本格的に盛んになりだすのは昭和30年代以降になる。中田喜直三善晃等の日本人作曲家女声合唱のための名曲次々発表し多く演奏され始める。また木下保秋山日出夫はじめとする戦前男声合唱盛り上げた指導者たちが女声合唱にも力を入れるようになる1959年昭和34年)の全日本合唱コンクール大学部門において、木下指揮する日本女子大学合唱団男声合唱名門関西学院グリークラブ破って初優勝を果たす。「これはある意味シンボリックなことだと思います。」「重厚な男声ハーモニー対抗して、しかもオーソドックス音楽の姿で出てこられて。打ち破るというのはたいへんですからね。」と評され、「男声合唱時代から女声合唱時代突入するきっかけになった」。日本女子大その後1963年昭和38年)から1965年昭和40年)まで3年連続優勝果たしその後札幌大谷短期大学中国短期大学大学部門の優勝果たし、「明らかに男声合唱時代去った」。女声合唱隆盛はさらに高等学校中学校にも広がり、特に1980年代~2000年代高等学校においては全日本合唱コンクールNHK全国学校音楽コンクール大会の上入賞女声合唱がほぼ独占する状態であった。現在でも学校クラブ活動としての合唱多く女声合唱である。 学校における女声合唱や一般の女声合唱団も盛んであるが、日本特有の形態として昭和20年代以降専業主婦主たる団員とする「おかあさんコーラス」「ママさんコーラス」「PTAコーラス」という形態女声合唱団が数多く存在する(以下、全日本合唱連盟表記従い、「おかあさんコーラス」と称する。)。こうした形態女声合唱団は「海外にはほとんどありません」。日本欧米との文化の違い背景にあり、「欧米は何でも夫婦でやる。夫婦別々にやるということはあまりない。(中略)ところが日本では全く別々です。夫のいない時間はわが天下でね」として、特に高度経済成長期以降の生活にゆとりができてきたころにこの傾向顕著になる作曲家も、こうした合唱団のための女声合唱曲を多く書くようになるおかあさんコーラス対象としたイベントとして、全日本合唱連盟では1978年昭和53年)から「全日本おかあさんコーラス大会」を開催1987年昭和62年)からおかあさんコーラス対象とした講習会おかあさんカンタート」を開催、現在まで毎年継続して開催されている。2005年平成17年)には、日本開催された「世界合唱シンポジウム」において、広く世界合唱人におかあさんコーラス認識してもらうために「おかあさんコーラスコンサート」を開催した2000年平成12年)の時点全日本合唱連盟加盟するおかあさんコーラス団体数は1,451団体で、全加盟団体数(4,846団体)の3割近く占めていた。その後漸減傾向にあり、2018年平成30年時点では1,259団体(全加盟団体(5,081団体)の約4分の1となっている。

※この「日本における女声合唱」の解説は、「女声合唱」の解説の一部です。
「日本における女声合唱」を含む「女声合唱」の記事については、「女声合唱」の概要を参照ください。

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