日本における女声合唱
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戦前から盛んであった男声合唱に対し、女声合唱が日本で本格的に盛んになりだすのは昭和30年代以降になる。中田喜直や三善晃等の日本人作曲家が女声合唱のための名曲を次々に発表し、多く演奏され始める。また木下保や秋山日出夫をはじめとする、戦前の男声合唱を盛り上げた指導者たちが女声合唱にも力を入れるようになる。 1959年(昭和34年)の全日本合唱コンクール大学部門において、木下の指揮する日本女子大学合唱団が男声合唱の名門・関西学院グリークラブを破って初優勝を果たす。「これはある意味でシンボリックなことだと思います。」「重厚な男声のハーモニーに対抗して、しかもオーソドックスな音楽の姿で出てこられて。打ち破るというのはたいへんですからね。」と評され、「男声合唱時代から女声合唱の時代に突入するきっかけになった」。日本女子大はその後1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)まで3年連続優勝を果たし、その後札幌大谷短期大学や中国短期大学が大学部門の優勝を果たし、「明らかに男声合唱時代が去った」。女声合唱の隆盛はさらに高等学校、中学校にも広がり、特に1980年代~2000年代の高等学校においては全日本合唱コンクール、NHK全国学校音楽コンクール両大会の上位入賞を女声合唱がほぼ独占する状態であった。現在でも学校のクラブ活動としての合唱の多くが女声合唱である。 学校における女声合唱団や一般の女声合唱団も盛んであるが、日本特有の形態として昭和20年代以降、専業主婦を主たる団員とする「おかあさんコーラス」「ママさんコーラス」「PTAコーラス」という形態の女声合唱団が数多く存在する(以下、全日本合唱連盟の表記に従い、「おかあさんコーラス」と称する。)。こうした形態の女声合唱団は「海外にはほとんどありません」。日本と欧米との文化の違いが背景にあり、「欧米は何でも夫婦でやる。夫婦が別々にやるということはあまりない。(中略)ところが日本では全く別々です。夫のいない時間はわが天下でね」として、特に高度経済成長期以降の生活にゆとりができてきたころにこの傾向は顕著になる。作曲家も、こうした合唱団のための女声合唱曲を多く書くようになる。 おかあさんコーラスを対象としたイベントとして、全日本合唱連盟では1978年(昭和53年)から「全日本おかあさんコーラス大会」を開催、1987年(昭和62年)からおかあさんコーラスを対象とした講習会「おかあさんカンタート」を開催、現在まで毎年継続して開催されている。2005年(平成17年)には、日本で開催された「世界合唱シンポジウム」において、広く世界の合唱人におかあさんコーラスを認識してもらうために「おかあさんコーラスコンサート」を開催した。 2000年(平成12年)の時点で全日本合唱連盟に加盟するおかあさんコーラスの団体数は1,451団体で、全加盟団体数(4,846団体)の3割近くを占めていた。その後漸減傾向にあり、2018年(平成30年)時点では1,259団体(全加盟団体(5,081団体)の約4分の1)となっている。
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