日本での食文化の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:49 UTC 版)
日本においても、組織的な捕鯨産業の成立以前から、沿岸部で鯨肉を食用としていた。小型のハクジラ類を中心に、縄文時代以前を含む旧石器時代の貝塚や、弥生時代の遺跡などから鯨骨の出土例があり、縄文時代早期(約6000年前)長崎県田平町にあるつぐめの鼻遺跡で、鯨類捕獲や解体に使われたとみられる石銛や石器が出土している他、縄文時代前期(約5000年前)石川県能登町の真脇遺跡や富山県氷見市の朝日貝塚などで大量の鯨類の骨が出土している。 縄文時代中期(約4000年前)には九州各地の遺跡で鯨類の椎骨を製作台にした「鯨底土器」などの文化も見られる。漁労文化の強かった九州では早くから捕鯨が行われていたと思われる。 日本では宗教上の理由などから、「肉食」が忌避されたり、公式には禁止されたりする時期が歴史上で度々あったが、欧米の場合と同じく「魚」として食用にされていたようである。イノシシの肉(牡丹肉)は食感が似ているとされ、江戸時代には山鯨という隠語で呼ばれていた。また伝統的食材ではあるが鯨肉が食文化として全国的に広まったのは戦後の食糧難時代である。商業捕鯨の停止によって鯨肉の消費は大きく落ち込み商業捕鯨が再開された後も変わっていない。捕鯨基地のある沿岸部では学校給食に取り入れるな地域の文化として振興政策を行っている。
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