日本での活動と日本宣教とは? わかりやすく解説

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日本での活動と日本宣教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 10:31 UTC 版)

フランシスコ会」の記事における「日本での活動と日本宣教」の解説

日本でのフランシスコ会活動は、1593年のペドロ・バブチスタの宣教嚆矢としている。 1593年文禄2年) - フィリピン総督使節としてフランシスコ会宣教師のペドロ・バプチスタが来日し肥前国名護屋豊臣秀吉謁見1594年文禄3年) - 京都に「天使元后教会」(聖母マリア教会)を建立1596年文禄5年) - サン・フェリペ号事件。ペドロ・バプチスタ、京都捕縛される1597年慶長元年)- ペドロ・バプチスタやマルチノ・デ・ラ・アセンシオンなどフランシスコ会員6名をふくむカトリック教徒26人が長崎処刑される日本二十六聖人殉教)。 1603年慶長8年) - フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ来日して徳川家康徳川秀忠謁見日本での布教従事し伊達政宗との知遇得て東北地方にも布教開始1613年慶長18年) - ソテロ慶長遣欧使節団正使としてローマ派遣されたが、日本でのキリスト教弾圧にともない外交交渉成功せず1622年元和8年) - ソテロ長崎潜入を図るが捕らえられ1624年寛永元年肥前大村殉教1867年慶応3年) - 教皇ピウス9世ソテロ列福1907年明治40年) - フランシスコ会、再宣教開始2007年平成19年) - フランシスコ会宣教100周年16世紀キリスト教伝来以降フランシスコ会はすでに日本人修道者会員在世会員獲得していた。17世紀なかばまで60名あまりが伝道従事したが、秀吉ついで江戸幕府禁教政策の下、そのほぼ半数殉教した開国後1862年文久2年)、これらの殉教者一部ピウス9世によって列聖されている。 現在、日本では3派合同し第一会約300名が活動しており、フランシスコ会聖書研究所ではカトリック公認日本語訳聖書であるフランシスコ会訳聖書刊行している。なお、1985年から2004年まで新潟教区長務め、翌2005年1月死去したフランシスコ佐藤敬一司教フランシスコ会出身だった。

※この「日本での活動と日本宣教」の解説は、「フランシスコ会」の解説の一部です。
「日本での活動と日本宣教」を含む「フランシスコ会」の記事については、「フランシスコ会」の概要を参照ください。

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