日本での活動と日本宣教
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「フランシスコ会」の記事における「日本での活動と日本宣教」の解説
日本でのフランシスコ会の活動は、1593年のペドロ・バブチスタの宣教を嚆矢としている。 1593年(文禄2年) - フィリピン総督の使節としてフランシスコ会宣教師のペドロ・バプチスタが来日し、肥前国名護屋で豊臣秀吉に謁見。 1594年(文禄3年) - 京都に「天使の元后教会」(聖母マリア教会)を建立。 1596年(文禄5年) - サン・フェリペ号事件。ペドロ・バプチスタ、京都で捕縛される。 1597年(慶長元年)- ペドロ・バプチスタやマルチノ・デ・ラ・アセンシオンなどフランシスコ会員6名をふくむカトリック教徒26人が長崎で処刑される(日本二十六聖人の殉教)。 1603年(慶長8年) - フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロが来日して徳川家康・徳川秀忠に謁見。日本での布教に従事し伊達政宗との知遇を得て東北地方にも布教開始。 1613年(慶長18年) - ソテロ、慶長遣欧使節団の正使としてローマに派遣されたが、日本でのキリスト教弾圧にともない外交交渉成功せず。 1622年(元和8年) - ソテロ、長崎に潜入を図るが捕らえられ、1624年(寛永元年)肥前大村で殉教。 1867年(慶応3年) - 教皇ピウス9世がソテロを列福。 1907年(明治40年) - フランシスコ会、再宣教を開始。 2007年(平成19年) - フランシスコ会再宣教100周年。 16世紀のキリスト教伝来以降、フランシスコ会はすでに日本人の修道者会員・在世会員を獲得していた。17世紀なかばまで60名あまりが伝道に従事したが、秀吉ついで江戸幕府の禁教政策の下、そのほぼ半数が殉教した。開国後の1862年(文久2年)、これらの殉教者の一部がピウス9世によって列聖されている。 現在、日本では3派合同して第一会約300名が活動しており、フランシスコ会の聖書研究所ではカトリックの公認日本語訳聖書であるフランシスコ会訳聖書を刊行している。なお、1985年から2004年まで新潟教区長を務め、翌2005年1月に死去したフランシスコ・佐藤敬一司教もフランシスコ会の出身だった。
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