方広寺 (天台県)とは? わかりやすく解説

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方広寺 (天台県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/05 15:11 UTC 版)

方広寺
中華人民共和国における位置
基本情報
所在地 中国浙江省台州市天台県
座標 北緯29度15分07秒 東経121度02分16秒 / 北緯29.25194度 東経121.03778度 / 29.25194; 121.03778座標: 北緯29度15分07秒 東経121度02分16秒 / 北緯29.25194度 東経121.03778度 / 29.25194; 121.03778
宗教 仏教
建設
様式 中国建築
創設者 曇猷尊者
創設 363年–365年
完成 1980年代(再建)
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方広寺(ほうこうじ)は、中華人民共和国浙江省台州市天台県にある仏教寺院[1]

歴史

方広寺は、東晋興寧年間、曇猷尊者により創建された。

唐代、「方広聖寿寺」と改称。五代十国時代、五百羅漢殿が修築されている。『華厳経感應略記』に「就嘉全億長史画半千羅漢形象。毎一迎請、必于石橋宿夜焚香、具鑼鈸幢蓋、引道入于殿、香風送幢之勢、前靡而入、入門即止、其方広寺梵唄方作、先有金色鳥、飛翔後林樹石畔。呉越国王銭弘俶頻年布施供養、造五百銅羅漢」と記されている。

北宋初、「方広崇禅寺」の名を賜った。徽宗建中靖国元年(1101年)の乱の火難で、寺は全焼した。紹熙4年(1193年)には寺院を重修した。

明代万暦32年(1604年)、居士葛一鵬は寺院を再建した。崇禎16年(1634年)、王夫之兄弟と夏汝弼が資金を募り全面重建し、崇禎18年(1636年)に落成した。

清代道光年間、曽国荃が先頭に立って出資し、寺院を再建。

1980年より後、地元政府は寺院を修復する。1983年中華人民共和国国務院漢族地区仏教全国重点寺院に認定した。1989年10月14日、仏像開眼式が行われた。

伽藍

山門、大雄宝殿(本堂)、五百羅漢殿、会仏堂、地蔵殿、佇真堂、左右廂房

重要文化財

  • 徽宗の「天下名山」の額
  • 書画家米芾の「第一奇観」の石刻
  • 石綸の「大観」の正書石刻
  • 王榭の「星橋勝概」の行書石刻
  • 曹掄選の「万山関鍵」の隷書石刻
  • 康有為の「石染飛瀑」の正書石刻

主な住僧

  • 曇猷尊者
  • 興慈法師
  • 通和法師
  • 定栄

文学

清代の文人汪隆の詩に曰く:

霊斧誰将石壁開、瑶虹垂外訝奔雷。
明珠万斛従天落、素練千尋動地来。

脚注




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