新名人戦とは? わかりやすく解説

新名人戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:12 UTC 版)

名人 (囲碁)」の記事における「新名人戦」の解説

朝日新聞主催となった新名人戦で、当初活躍したのは大竹英雄であった林海峰との戦いは「チクリン名勝負」と呼ばれファンを湧かせた。大竹旧名人戦14期から6期連続七番勝負出場、「名人戦男」と呼ばれることになった。 その大竹から名人位を奪ったのは弟弟子趙治勲であった。趙は第6期1980年)、24歳若さ名人奪取し祖国韓国囲碁ブーム巻き起こるきっかけ作った1983年には棋聖本因坊合わせ史上初の大三冠達成する1984年第9期、趙は大竹英雄に3連敗後4連勝して前人未到名人5連覇果たし初め名誉名人資格を得る。しかし6連覇かかった1985年第10期小林光一悲願名人奪取ここから趙・小林角逐時代本格的に幕を開けた1986年第11期には、加藤正夫1981年以来二度目挑戦にして初の名人奪取翌年林海峰相手防衛果たし七大タイトルのうち四冠制する。しかし1988年小林が再び名人奪取ここから小林長期政権が始まる。中でも1992年第17期の、兄弟子大竹英雄挑戦者迎えての第7局では、終盤まで劣勢であった小林ヨセワリコミ妙手放ち逆転成功。この一局名人戦史上に残る名勝負といわれる。これを含め大竹は趙・小林に計6度挑戦果たしているが、奪取果たせなかった。 1995年第20期小林の8連覇阻んだのは、かつて石田加藤とともに木谷三羽烏」と呼ばれながら、名人戦に縁のなかった武宮正樹であった。この第5局、武宮は攻め合い負け見えた石を第一線マガリ妙手逆転小林は局後に「恐ろしいものを見た」と何度もうめいたといわれる。この局も名人戦史上に残る一番として名高い。 しかし翌年には天敵趙治勲12年ぶりに名人戦舞台登場4-2で武宮を降して名人復帰果たした。趙は以後4連覇再度大三冠達成し第一人者貫禄見せつけた。

※この「新名人戦」の解説は、「名人 (囲碁)」の解説の一部です。
「新名人戦」を含む「名人 (囲碁)」の記事については、「名人 (囲碁)」の概要を参照ください。

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