新名丈夫(新聞記者)を懲罰召集
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「東條英機」の記事における「新名丈夫(新聞記者)を懲罰召集」の解説
詳細は「竹槍事件」を参照 竹槍事件では新名丈夫記者(当時37歳)を二等兵として召集し硫黄島へ送ろうとしたとされる。新名が1944年(昭和19年)2月23日毎日新聞朝刊に「竹槍では勝てない、飛行機だ。海軍飛行機だ」と海軍を支持する記事を書いたためであった。当時、陸海軍は航空機の配分を巡って激しく争っており、新名は海軍の肩を持つ記事を書いたために陸軍の反感を買っていた。なお新名は海軍の働きかけによって戦地への動員は免れ、3か月後に召集解除となった。
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