新古典ミクロ経済学との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 02:04 UTC 版)
「取引コスト」の記事における「新古典ミクロ経済学との違い」の解説
ウィリアムソンは1996年の『The Mechanisms of Governance(統治のメカニズム)』で、取引コスト経済学(TCE)が以下の点で新古典ミクロ経済学と異なると主張している。 項目 新古典ミクロ経済学 取引コスト経済学行動上の想定 極端な論理性 (hyperrationality) を想定し、日和見主義に関する危害の大部分を無視 限定合理性を想定 分析単位 商品とサービスの混成に関して 取引自体を分析 支配構造 企業を生産関数 (技術的構造) として説明 企業を支配構造 (組織構造)として説明 問題とする財産権と契約 多くの場合、財産権は明確に定義されており、裁判所によってそれらの権利を行使するコストは無視できるほど僅かだと想定 財産権と契約を問題として扱う 離散構造解析 二次経済化(利鞘の調整)を達成する目的で、モード分析(continuous marginal modes)を使用 一次経済化(基本的支配構造の改善)を実現するために、企業の基本構造とその支配を分析 救済性 利潤最大化や費用最小化を効率性の基準と認識 最適な解決策はなく全ての打開策に欠陥があると主張し、それゆえ優れた打開策が無くともその導入で純利益を生み出す解決策に至る「最適」な効率性の模索 不完全な市場 不完全市場の重要性を軽視 取引コストの影響がポートフォリオ管理者とオプション取引業者に元の分析をデリバティブ市場に拡張する新古典主義的に最適なポートフォリオから逸脱させることに繋がった、とロバート・アルムグレンやニール・クリスらが示した。 取引コストの枠組みは、目的合理性 (Instrumental rationality) の概念および行動予測に関するその含蓄を否定する。手段的合理性は、実行者による世界の理解が世界の客観的現実と変わらないことを前提としているが、取引コストに焦点を当てる学識者は実行者が世界に関する完璧な情報を欠いている(限定合理性のため)点に着目している。
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