新古典主義作曲家との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 09:34 UTC 版)
「野川晴義」の記事における「新古典主義作曲家との確執」の解説
新作が初演されるたびに賛否両論が絶えない野川であるが、実は彼が所属している日本作曲家協議会においても1991年に一騒ぎ起こしている。 「日本の作曲家 '91」で野川の『Verismo/La vena estratta』が深紅の照明の下、演奏者全員が真っ赤な衣装を纏い、高橋アキ等によって再演された数ヵ月後、日本作曲家協議会の当時の理事を務めていた新古典主義の長老作曲家安部幸明が、同協議会の機関誌上で「ピアノは弾くだけではなく、打楽器の撥で弦を引っ掻く叩くという様な、打楽器的効果を求めたと思われる所もあり、筆者の如き、何もかもとぼしい、戦中に生きて来て、楽器を虎の子の様に扱って来た者には、楽器が痛みやしないかと、はらはらをさせられ正直なところ曲に聴き入るより、そのことに気を取られ、チェンバロの音は、殆ど聞き取れなかった。だから(どの楽器が)どんな役柄を演じているのかわからなかった。(後略)」と批判したことに野川は激怒した。そして、反発する野川は「れっきとした評論家、研究家や一般聴衆からの批判は幾らでも私は浴びて作品を書く糧とするが、戦中に生きたことを自ら美化し、アカデミズムの繁栄を懇願し、ひたすら保守的な弦楽四重奏曲を書き殴る思考停止の老人作曲家に批判される謂れは無いし、その様な作曲家を理事なんぞに置く協議会も私の存在に対する圧力の象徴である」といった内容の抗議文を安部幸明と日本作曲家協議会へ送っている。野川の音楽を支持する先輩作曲家佐藤眞や武満徹等の引止めにもかかわらず、同年に野川はさっさと日本作曲家協議会を退会するに至った。 「新古典主義」とカテゴライズされた枠の中にどっぷりと身を置く現状肯定的な作曲家の存在と、その曖昧な批評に堪りかねた野川の若さ故の結果だったと言えるだろう。尚、その二年後に野川は涼しい顔で同協議会へ再入会し、現在に至っている。
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