敦煌文献の価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 03:18 UTC 版)
まず先に、どうしてこの文献が壁の中に封じ込まれることになったのかを解説する。封じ込まれたのは11世紀前半と推定されており、経緯については2つの説がある。 敦煌が西夏により占領された際に経典を焚書されることを恐れて隠したという説。 不必要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという説。 一つ目の説は井上靖の小説『敦煌』が採用しているが、西夏朝は仏教を信仰しており経典を破壊すること自体がありえない、この敦煌文献にはとうてい価値の無さそうなものが多数含まれており中には習字の書き損ないと思われるものまである、という疑問が指摘され、現在では二つ目の説がほぼ定説となっている。 ではなぜ当時価値がないと考えられたものが現代では大騒ぎされているのだろうか? 一つ目がその量である。総数で3万とも4万とも言われるその数は各分野にわたって資料を提供している。 二つ目がその年代である。中国に於ける印刷術は五代十国時代から北宋代に飛躍的に進歩した。それゆえに唐代以前の写本は版本に取って代わられ、清代になるとほとんど存在しなくなっていた。敦煌文献の中にはこうやって遺失した書物・文書が大量に存在しており、敦煌の中から復活した書物は少なくない。 三つ目がそのバラエティである。文献の大半は漢語で書かれており、内容は仏典である。しかし他にチベット語・サンスクリット語・コータン語・クチャ語・ソグド語・西夏語・ウイグル語・モンゴル語などがあり、内容もゾロアスター教・マニ教・景教(ネストリウス派)などの経典、唐代の講唱の実態を示す変文、あるいは売買契約書や寺子屋の教科書などの日常的な文書も残っており、失われた言語・宗教をこの文献より一部復活させたり、当時の民俗・政治の実態を知る上で非常に貴重である。 四つ目にその無価値さゆえである。無価値と判断したものを苦労して保存しようとする者はまずいない。であるからそのような物が現存する可能性はそれこそ奇跡に近い。その奇跡の成果である唐代の土地台帳などから均田制など唐代に行われていたとされる諸制度が実際にどのように運営されていたかの研究が進められている。
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