敦盛の最期、終曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 15:06 UTC 版)
シテ〽さるほどに、み船をはじめて地謡〽一門みなみな、船に浮かめば、乗り遅れじと、汀(みぎわ)にうち寄れば、御座船も兵船(ひょうせん)も、はるかに延びたまふシテ〽せん方波に駒を控へ、あきれ果てたるありさまなり地謡〽かかりけるところに、後ろより、熊谷(くまがえ)の次郎直実、逃さじと追つ駆けたり、敦盛も、馬引き返し、波の打物(うちもの)抜いて、二打(ふたうち)三打(みうち)は打つぞと見えしが、馬の上にて引つ組んで、波打ち際に、落ち重なつて、つひに討たれて失せし身の、因果はめぐり逢ひたり、敵(かたき)はこれぞと討たんとするに、仇(あた)をば恩にて、法事の念仏して弔はるれば、つひにはともに生まるべき、同じ蓮(はちす)の蓮生法師、敵にてはなかりけり、跡弔ひてたびたまへ、跡弔ひてたびたまへ [敦盛]そうしていると、天皇の御座船をはじめとして――平家一門は、皆船に乗り込んだので、私(敦盛)も乗り遅れまいと、汀に行ったが、御座船も兵船も、沖合はるかに行ってしまわれていた。[敦盛]なすすべもなく馬を止めて、途方に暮れてしまった有様である。――そうしているところに、後ろから、熊谷次郎直実が、逃すまいと追いかけてきた。敦盛も、馬を引き返し、刀を抜いて、二度三度打ったと見えたが、馬の上で組み合いとなり、波打ち際に落ち重なり、敦盛はついに討たれてしまった。その身の因果がめぐって今お僧とめぐり会い、これこそ敵だと思って討とうとしたが、仇を恩で報じてくださり、法事の念仏をして弔ってくださったので、最後はともに極楽浄土に生まれ、蓮をともにするであろう蓮生法師、敵ではなかったのです。私の跡を弔ってください。
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