教育・人物
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2008年4月1日から2013年3月31日まで東京都杉並区立和田中学校の民間人校長を務めた。 和田中学校校長当時、男性教諭が起こした女子生徒へのわいせつ事件が発生。週刊金曜日によると、2011年1月に監督責任を問われて杉並区教育委員会から文書訓告の行政処分を受けた。週刊金曜日は、東京都教育委員会は一年近く「調査」と称して隠蔽し、代田はその間「教諭は病気休職」と報告していたと報道している。代田は後述する鎌倉市の教育長人事にまつわる問題の末、2013年4月7日の「鎌倉の新しい教育を考えるシンポジウム」に参加、わいせつ事件の隠蔽と虚偽の説明の真偽を尋ねられて、一切なく、事実無根だと答え、東京都教育委員会から処分はされておらず、杉並区教育委員会から文書訓告の「処置」を受けたのであって処分ではないのだと主張した。 2013年3月、神奈川県鎌倉市にて市長松尾崇が代田を同市教育委員会教育長候補の教育委員に選任する人事案を提出。3日の所信表明でわいせつ事件の処分について代田が「文書訓告ではなく、厳重注意だ」と虚偽の説明をしたことについて批判された。さらに市長が市議に渡した代田を教育長に推薦する国会議員の署名のある推薦書について、文章を代田が作成し国会議員にサインだけさせた自作自演であり、政治家を利用した猟官運動で、圧力をかけたとも批判された。代田は辞退を申し出たとされ、市長は提案を取り下げた。その後も3月22日に代田がテレビ番組で教育長を諦めていないことを発言、24日には市長が自身の政治団体「松尾たかしを応援する会」の開いた記者会見にて6月議会での人事案の再提案を公言した。代田は4月7日に「鎌倉の新しい教育を考えるシンポジウム」に参加、わいせつ事件の隠蔽と虚偽の説明の真偽を尋ねられると、一切なく、事実無根だと答え、東京都教育委員会から処分はされておらず、杉並区教育委員会から文書訓告の「処置」を受けたのであって処分ではないのだと主張し、教育長についてはもう一度やってみようと前向きにとらえていると述べた。 2013年6月に武雄市を訪問、全小中学生にタブレット端末を配布するため教育監に就任した。代田はICI授業に熱心でタブレット端末の円滑な導入による『反転授業で武雄市を学力日本一のまち』を目指し、抱負として「学校授業の大多数の時間が、先生から生徒への一方的な講義型スタイル。 授業の中だけだと、どうしても学びきれない子がいる。 わかった子はどんどん先に進めるし、わからない子は、絶対つまずきを残さないスタイルの授業を展開したい。」と語っている。 2015年12月18日、長野県飯田市議会にて教育長に任命された。2016年3月末に武雄市教育監及び武雄市立武内小学校校長を退職し、4月1日に飯田市教育長に就任し、2021年度まで務めた。また武雄市の特別顧問にも就任した。 代田の座右の銘は、「最善を尽くし、そして一流であれ」である。「日本のアメリカンフットボールの父」といわれるポール・ラッシュの言葉。夢は「文部科学大臣」、「そのポジションについたら、日本の教育観が変えられるからです」。兄は長野県で教師、両親も教員だった教育一家で育ったと語る。
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