政府証言者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 15:26 UTC 版)
ヴァラキのかつての上司だったトニー・ベンダーはジェノヴェーゼの獄中の指示により、1962年4月8日に殺害されたが、ヴァラキも裏切りの濡れ衣によりジェノヴェーゼのコントラクト(殺人指令、死の口づけ)によって追われる身となった。ヴァラキがFBNと協力している裏切り者だとの噂が刑務所中に広まり、囚人仲間から疎外された。1962年6月22日、ジェノヴェーゼが送った刺客と間違えてジョン・ジョゼフ・サウップという組織とは関係ない男を、建設作業場にあった鉄パイプで殴り殺した。同年7月、追いつめられたヴァラキは政府証言協力者になることを申し出た。7月17日、サウップ殺害により無期懲役の判決を受けたと同時に、アトランタ刑務所からウエストチェスター郡刑務所に移送され、刑務所病院の隔離された一室でFBNの尋問・取り調べに応じた。同年9月上旬、FBIがヴァラキに面会し、FBNからFBIに尋問の主導権が移った。 ヴァラキは、FBIとの司法取引により、組織の情報をリークするかわりに、証人保護プログラムによる保護下に入った。FBIは、ニューヨーク事務所の腕利き捜査官ジェームス・P・フリンを派遣しヴァラキの尋問を進める一方、ヴァラキの供述が本当かどうかを見極める為、他のマフィア内部証言者の確保に奔走した。複数のマフィアの電話盗聴記録(非公式)との照合作業も進めた。またFBIは、イタリアで一部公表されていたニコラ・ジェンタイルの回想録のコピーを1961年に入手していたが、ヴァラキの証言の信憑性を計る目的で利用した。 1963年9月25日から10月16日の間で開かれた上院のマクレラン委員会の場に姿を現したヴァラキは、コーサ・ノストラ内部の情報を証言した(バラキ公聴会)。証言は、自身の犯罪経歴からマフィアファミリーの内部構成、全米ネットワークの存在、マフィア入会の儀式まで広範囲に及び、証言の様子は全米ネットでテレビ中継された。 マフィア上層部はヴァラキを暗殺するために刑務所の刑務官を買収して飲み物に毒を入れたり、殺し屋を刑務所に送り込んだりもしたという。ヴァラキの首に10万ドルの懸賞金が掛けられていたとも言われた。その後、ヴァラキは厳重に管理された独房で過ごし、1971年にテキサス州の拘置所で心臓発作によりこの世を去った。 マクレラン委員会で証言をしたことで、司法取引で外に出られるという約束をしたが、当時の司法長官のロバート・ケネディが暗殺され、ニコラス・カッツェンバックが司法長官となったときに、約束は無視されて、失意のヴァラキは首をつり自殺したという説もある。後にジェノヴェーゼは、ヴァラキは1956年に逮捕されたときから政府に協力していたと主張した。
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