放送作家 -「ファントマ大哀歌」
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「ロベール・デスノス」の記事における「放送作家 -「ファントマ大哀歌」」の解説
1933年、フランスにおけるラジオ放送の草分けとして知られるポール・ドゥアルム(フランス語版)からの誘いでラジオ番組の制作や宣伝を担当。同年11月3日、『ファントマ』新シリーズの開始に伴い、「ファントマ大哀歌」を制作し、大成功を収めた。これは、大衆小説『ファントマ』の第2弾が(スーヴェストルの没後)マルセル・アランによって11月3日から『プティ・ジュルナル』紙で連載されることになり、この宣伝のために、「12場から成る連続ドラマ(演劇)」として制作されたものである。デスノスの作詞にクルト・ヴァイルの作曲、アントナン・アルトーが演出を担当してファントマの役割も兼ね、音楽監督はアレホ・カルペンティエルであった。新聞連載第1回の11月3日に合わせて、宣伝のためにラジオ・パリで放送された「ファントマの夕べ」は、歌手、俳優、朗読・演奏家約100人が参加し、準備に数週間を要するほどの大規模なものであった。「ファントマ大哀歌」の成功により、以後、デスノスはフォニリック番組(または「フォニリック・スタジオ」)という文学番組担当として正規に雇用されることになった。カルペンティエルも引き続き彼の番組の音楽を担当した。デスノスの番組は、世界各国の文化を紹介し、クラシック音楽からシャンソン、バラエティ番組まで、パスカル、ライプニッツからお化け屋敷、方言まで多岐にわたるジャンルや話題を取り上げた。また、シュルレアリスム時代からの夢の記述への関心から、視聴者から夢に見た話を募り、『夢』という番組を組むなど新しい企画を取り入れたことも成功につながった。 一方で、ファシズムの台頭、スペイン内戦などに危機感を募らせ、国際革命作家同盟 (UIER) のフランス支部「革命作家芸術家協会」に参加し、アラゴンが編集長を務める同協会の機関誌『コミューン(フランス語版)』および共産党の機関誌『ス・ソワール(フランス語版) (今夜)』に寄稿したり、同じくアラゴンが事務局長を務め、人民戦線の様々な文化団体が参加していた文化会館の活動に参加したりと、次第に共産党の活動に関わるようになった。また、1937年に人類博物館を創設したポール・リヴェ(フランス語版)が会長を務める反ファシズム知識人監視委員会に参加。後に対独レジスタンス運動の一つの重要な拠点となるこの博物館の創設時には、これを記念して、デスノス作詞、ダリウス・ミヨー作曲の「人類博物館の落成式のためのカンタータ」が発表された。
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