放流事故と対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 07:57 UTC 版)
前述の通りダムには洪水調節機能がない。日本有数の降雨地帯である大台ヶ原を水源としている事から洪水が多発する紀の川であるが、大滝ダムで治水を行うという前提で大迫ダムには治水目的を付けなかった。この為洪水時には流入量をそのまま放流することとなる。1982年(昭和57年)7月31日から8月1日に掛け、流域を台風10号が襲った。大台ヶ原では31日午後11時からの2時間に153 mmという猛烈な雨が降り注ぎ、大迫貯水池は急激に増水しダム天端より越流寸前の危機的状況となった。この為ダムは緊急放流を行うが、事前にサイレンによる警戒を実施したものの増水が急激で対応が結果的に遅れ、紀の川河川敷でキャンプや釣りをしていた28人が孤立、内7人が死亡した。 この事故は新聞にも大きく取り上げられ、8月12日には衆議院災害対策特別審議会の中で問題にもなった。この中でゲート操作の不備とサイレン警報の遅れを指摘された。その後の調査でゲート操作は指針通り実施され、サイレンも鳴らされていたが実際被災者はサイレンが聞こえなかったと証言しており、河川管理の在り方が改めて問われた。事態を重く見た管理者である農林水産省近畿農政局は「近畿ダム管理検討委員会」を設置。専門家によるより迅速かつ確実な管理・緊急時の対策を検討し、より早期での警戒サイレンの発動や装置の充実を図った。これ以降死者がでる事は無くなったが、当時台風が接近し河川が増水していたにも関わらず居残ったキャンパーなどの責任はダム管理者への責任に隠れ表面化していない。こうした河川利用者の自己責任が問われていくのは、玄倉川水難事故まで待たなければならなかった。
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