改革開放路線と再設立
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「中国人民銀行」の記事における「改革開放路線と再設立」の解説
1978年12月18日、中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で中国の改革開放政策路線を確立した。会議では、それまでの政治的階級闘争を最優先課題とする考えに終止符を打ち、「社会主義現代化建設」、つまり国家の経済建設を仕事の中心とする戦略を決定した。金融改革は会議の最重要課題のひとつで、その中でも中央銀行の確立が急務となった。 1979年1月4日に鄧小平が、「今の銀行は勘定計算と会計のことしかやっていない。本当の銀行の機能を果たしていない。銀行は経済発展と技術革新のテコとなるべきだ」と述べ、金融改革の基本方針が示された。同年、同行から中国農業銀行、中国銀行と中国人民建設銀行(現;中国建設銀行)が分離され、それぞれ国務院直属の国有専業銀行とした。具体的には、同年2月に国務院が「中国農業銀行の回復に関する通知」を公布し、中国農業銀行が分離され、農村改革を支援する業務を担当することになった。同年3月に国務院は中国銀行の分離を決定し、外国為替業務を担当させた。さらに、同年8月には、中国人民建設銀行が分離され、主に長期建設資金業務を担当するようになった。 1982年7月、国務院は同行の位置付けを「中国の中央銀行であり、国務院指導下の全国組織を統一管理する国家機関である」とする文書を出し、翌1983年9月17日には、同じく国務院が『中国人民銀行が中央銀行機能を専門的に行使することに関する決定』を公布した。これにより、1984年1月1日より同行が中国の中央銀行の機能を専管的に行使することになり、中国の新しい中央銀行体制がスタートした。これと同時に、それまで同行が兼ねていた一般銀行業務を、新たに設けた中国工商銀行に引き継がせた。 1993年7月、国務院常務副総理の朱鎔基が当時の行長である李貴鮮を解任して自ら兼務して改革を断行した。1995年には全国人民代表大会が「中華人民共和国中国人民銀行法」を制定して、財政部からの独立性が確保され、中央銀行機能に特化することが規定された。しかし、あくまで国務院に帰属して指導を受けるために独立した金融政策や為替政策の判断はできない同行は政府の意向を受けて為替操作を行ってきたとも評され、2008年の世界金融危機の際には当時の行長である周小川の反対を押し退けて国務院副総理の王岐山の指示に従って大規模な金融緩和を実行している。 2014年から同行はドル決済への依存や流通コストの軽減とマネーサプライの管理および消費行動の監視強化を目的に中央銀行デジタル通貨の開発を世界に先駆けて始めた中央銀行の1つであり、2020年10月から同行は深セン市において行った1000万人民元相当のデジタル人民元を発行する初の公開実験を皮切りに利用を拡大させ、中国は主要国では初めて中銀デジタル通貨を普及させた国となった。
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