描かれた目黒川とは? わかりやすく解説

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描かれた目黒川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:57 UTC 版)

目黒川」の記事における「描かれた目黒川」の解説

ここでは、絵画などに描かれた目黒川について解説する。なお、千代が池(2)は目黒川北岸にあった池である。 1.江戸名所図会』巻3 所収太鼓橋長谷川雪旦画。天保5年1834年)~天保7年1836年刊行墨摺絵目黒川架かる石造り太鼓橋その周辺描いている。最寄りの旧景勝地夕日の岡」が背景見られない画角であることや、橋向こう家屋手前家屋よりかなり低い位置にあることから、行人坂の側(高所側)から南南東方面描いたものと考えられる2 3 2. 歌川広重名所江戸百景 目黒千代か池(めいしょえひゃっけい めぐろ ちよがいけ)』 名所浮世絵揃物『名所江戸百景』第23景。安政4年1857年刊行板元魚屋栄吉。縦大判錦絵。 3. 歌川広重名所江戸百景 目黒太鼓橋 夕日の岡(めいしょえひゃっけい めぐろ たいこばし ゆうひのおか)』 名所浮世絵揃物『名所江戸百景』第111景。安政4年1857年刊行板元魚屋栄吉。縦大判錦絵目黒川の上側から東南東方面描いている。かつては夕陽映える木立紅葉美しいと絶賛され有名な景勝地であったが、当時すでに見る陰も無くなってしまっていた「夕日の岡」を、これも有名な目黒太鼓橋と共に描く絵師多かった広重は、この図では暗い空から牡丹雪静かに舞い降りる雪景として描いてみせた。一面雪景色の中、目黒川画面奥へと流れている。道行人々男性達の笠やにも女性の差す和傘にも降り積もっている。これら表現全て紙の白地活かして描かれている。ここの太鼓橋江戸では珍しい石造り石造アーチ橋)として誰もが知るところであった画面左向かえば行人坂、右へ向かえ目黒不動道(目黒不動到る街道)で、左手ここから険し上り坂右手緩やかな下り坂である。左手奥に山のような斜面見えるが、これが「夕日の岡」で、江戸時代には熊本藩細川家江戸下屋敷敷地内にあった(※現在はホテル雅叙園東京敷地内になっている)。右手前に屋根だけ見えているのは、しるこ餅を売る茶屋正月屋かも知れない20年上前刊行された『江戸名所図会』にこの家屋表側から描かれていて、暖簾書かれ屋号確認できるのであるが、時期がかなり離れているため、同じ店が存続していればの話になる。 5. 歌川広重冨士三十景 東目黒夕日か岡』 安政5年1858年刊行板元蔦屋吉蔵。縦大判錦絵

※この「描かれた目黒川」の解説は、「目黒川」の解説の一部です。
「描かれた目黒川」を含む「目黒川」の記事については、「目黒川」の概要を参照ください。

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