描かれた旅程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 02:24 UTC 版)
『甲州道中図屏風』は本来の巻子であったときに各絵は旅程順に配列されていたと見られるが、屏風絵に仕立て直される課程で各絵を機械的に配置したと見られている。そのため現状では一部地理的錯綜を含んでいるが、おおむね甲州街道における旅程順に配置されている。 すなわち江戸から高尾山参詣を経て甲府城下へ至る。高尾山の情景は複数の絵に描かれており、本屏風の旅における目的のひとつは高尾山参詣であると見られている。甲府では武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)、湯村・昇仙峡に立ち寄り、再び甲府へ戻る。さらに懸腰寺に立ち寄り鰍沢の口留番所に至り、身延山参詣を行う。さらに万沢口留番所を経て駿河へ至り、東海道を進み岩淵河岸を経て、芦ノ湖までの旅程が想定される。なお、屏風絵における旅程は芦ノ湖で終わっているが、最終的には江戸へ帰ったとみられる。 当時、江戸から甲府までは三泊四日の日程で、一泊目は高尾山手前の府中・横山付近であることが通例であった。『甲州道中図屏風』では5「高尾山頂」で早朝の太陽が描かれ、本屏風の旅における一泊目は高尾山頂であったと見られている。二泊目は一泊目が府中泊の場合は与瀬、横山泊の場合は上野原あるいは犬目が標準的であったが、屏風絵では12「黒野田付近か」、15「上野原付近の桂川」において夜景が描かれており、15「上野原付近の桂川」では桂川筋において行われていた鵜飼漁が描かれていることから、二泊目は上野原付近であったと見られている。三泊目は甲州街道の難所である笹子峠を控えており、その手前である花咲もしくは黒野田付近での宿泊が一般的であり、三泊目の光景とみられる12「黒野田付近か」では描かれている宿場の規模から黒野田宿であると考えられている
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