探査機の喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 06:16 UTC 版)
「マーズ・ポーラー・ランダー」の記事における「探査機の喪失」の解説
マーズ・ポーラー・ランダーは1999年12月3日に火星大気圏に突入した。一時的な通信途絶を経て着陸後に通信を再開するはずだったが、予定時刻を過ぎても探査機からの信号は受信できず、そのまま行方不明になった。結局、突入直前の20:00 (UTC) の通信が最後の通信となった。 大気圏突入までランダーは正常だったが、その後何が起きたのかは不明である。従来の探査機は、突入時の機体の状態をビーコン通信装置で伝送し、仮に着陸に失敗した場合でもどのような異常が失敗の原因となったのかを調査することが可能だった。しかし、マーズ・ポーラー・ランダーでは、コスト削減の方針と着陸成功への過信からこの機能が省かれていた。 失敗の原因はいくつか考えられているが、突入中のデータが存在しないためいずれも推測の域を出ていない。有力な説として探査機のソフトウェア上のエラーが考えられている。火星地表への降下中に展開された着陸機の足によって生じた振動を、探査機ソフトウェアが地表着地の際の衝撃と勘違いして、着地と同時に切るはずだった降下エンジンを、地表から40mの上空で切ってしまった可能性がある。この場合探査機は時速80kmで火星表面に激突し破壊されたはずである。もうひとつの可能性は、パルスロケット・スラスターの触媒層の事前の加熱が十分でなかったためではないかということである。スラスターに使われているヒドラジン系燃料は、触媒層において高温のガスに分解され、ロケット・ノズルから噴射されることにより推力を得る。しかし、触媒層が十分に加熱されていないと、スラスターが機能せず不安定になることが事後検証により発見された。 1999年の終わりから2000年の初めにかけて、マーズ・グローバル・サーベイヤーによる火星地表の画像からマーズ・ポーラー・ランダーの残骸を確認しようとする試みが行われた。この試みは失敗に終わったが、その後、2005年に撮られた写真を再び調べたところ、ランダーの残骸と思われる物が発見された。しかし、2005年以後に撮られた高解像度の写真により、これは探査機ではないということがわかった。アメリカ航空宇宙局 (NASA) は、2006年に火星の軌道に入ったマーズ・リコネッサンス・オービターの、さらに高解像度のカメラによって探査機の残骸が発見できるのではないかと期待している。 2007年に打ち上げられたフェニックスには、マーズ・ポーラー・ランダーと同じ機器が搭載されており、2008年に火星着陸に成功した。
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