承安二年在銘五輪塔とは? わかりやすく解説

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臼杵磨崖仏
附 日吉塔、嘉応二年在銘五輪塔
承安二年在銘五輪塔

名称: 臼杵磨崖仏
 附 日吉塔、嘉応二年在銘五輪塔
 承安二年在銘五輪塔
ふりがな うすきまがいぶつ つけたり ひよしとう、かおうにねんざいめいごりんとう、じょうあんにねんざいめいごりんとう
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 大分県
市区町村 臼杵市大字前田深田中尾
管理団体 臼杵市(昭10・1・7)
指定年月日 1934.01.22(昭和9.01.22)
指定基準 史3
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日 平成10.09.11
解説文: 臼杵市西方約4粁の距離にあたり臼杵川支流深田川挾み起伏する凝灰岩丘陵に刻せられているもので、字古園観音木原大日及び南津留大字中尾山王ホキ地域またがっている。字古園存する磨崖仏は、その北に対す丘陵にあり、いづれもその岩壁に仏・■等を半肉彫している。壁面並に彫像亀裂生じ造像にも破壊毀損しているものがあるが、その数頗る多く中にも古園本尊大日首部、及び■像、ホキ弥陀觀音勢至三尊山王隠れ地蔵如き優秀なのである。字観音存する磨崖仏は、大日山西南丘陵亭ヶ鼻の末端にあり、丘陵穿って2個の■洞を作り、一洞には法師坐像を、一洞には眞野長者夫妻坐像を置き、共にこの地の磨崖仏群像彫作に関係している伝説存する。字木原磨崖仏は、亭ヶ鼻の東方低地道路の傍にあり、凝灰岩をもって作している二王立像で、その作は簡素である。字大日存する磨崖仏は、俗に門前と称さる丘陵末端にあり凝灰岩岩壁に仏佛・■等を半肉彫したもので、岩貭粗鬆の爲彫像破壊甚しいが、不動立像及び脇侍二像は比較的よく保存している。
これらの磨崖仏は、ほぼ平安時代から鎌倉時代わたって作されたものとみなされるが、中にも平安時代の作に見るべきもの多くわが国におけるこの種の磨崖仏としてきわめて優秀なものであり、學術上の価値が特に深い。
なお日吉塔は木原にあり、阿蘇熔岩作られ宝篋印塔で、その作精巧であり、鎌倉時代遺品認められる五輪塔南津留村中尾の丘陵上にあり、一基には承安二年の銘を存し一基には嘉応二年の銘を存し、共に阿蘇熔岩作られ供養塔である。
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