手塚治虫と「トイレのピエタ」
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「トイレのピエタ」の記事における「手塚治虫と「トイレのピエタ」」の解説
手塚は晩年には胆石や急性肝炎で長期入院することも増えて8kgも体重が減って、みる人が驚くほど痩せていた(自分の漫画の中でその痩せた姿を紹介もしている)。 亡くなる2年と少し前の1986年8月に、手塚は妻と共に仕事と観光を兼ねてイタリアに行った。 イタリアでは6日ほど過ごした。そこで妻と一緒にシスティーナ礼拝堂でミケランジェロが描いた天井画を見た。ちょうどその時にミケランジェロの天井画は修復中で、手塚たちが足場に立つと「アダムとイブ」の部分を手を伸ばせば触ることができるほどの近くで見ることができた。妻の手記によれば手塚はそのとき「もうこんな幸運に巡り合うのは何人もいない。有り難いことだ」と天にも昇る思いで大いに感激していたという。 また手塚は「この絵の端にアトムの顔を描いておこうかな。これから先、何年か経って誰かがそのラクガキを見つけたら、さぞかし面白いだろうな」と冗談を言って妻や同行者を笑わせている。 トイレのピエタに登場する「ミケランジェロが寝転びながら描いた天井画」とはこのシスティーナ礼拝堂の天井画のことである(システィーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロが板で足場を作りそこに仰向けになって筆を持って描いたという逸話があり、手塚もその説明を受けていた)。 また3日目にはフィレンツェにある「花のドゥオーモ」(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)でミケランジェロが作ったフィレンツェのピエタを見ている。フィレンツェのピエタは、通常の母子像であるピエタとは違い、キリストの死体を他の数人が支えるという作品。ミケランジェロが75 - 80歳頃に手がけた作品。 これはミケランジェロが年老いて、友人を次々と失い、自分の死を意識した作品であり、ミケランジェロが約半世紀ぶりにピエタの制作へ挑んだのは、それを自分の墓所に飾るためだったことがジョルジョ・ヴァザーリの残した記録に残っている。ミケランジェロはこの石像の足元へ自分の死体を埋葬するようにとまで語っていたが、ミケランジェロはハンマーで本作の一部を壊して、作ることを放棄したため未完の状態のままで花のドゥオーモに展示されている。 医師が手塚の(スキルス性の)胃がんを発見したのは、1988年3月15日である。その病院は手塚が胆石と急性肝炎を治療したのと同じ半蔵門病院であった。手塚はトイレに行く以外は病室で仕事をしていた。 手塚治虫の公式サイトでは、「トイレのピエタ」の主人公のモデルは手塚治虫自身であろうと語られている。
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