手塚治虫と「トイレのピエタ」とは? わかりやすく解説

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手塚治虫と「トイレのピエタ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 21:57 UTC 版)

トイレのピエタ」の記事における「手塚治虫と「トイレのピエタ」」の解説

手塚晩年には胆石急性肝炎長期入院することも増えて8kgも体重減って、みる人が驚くほど痩せていた(自分漫画の中でその痩せた姿を紹介もしている)。 亡くなる2年と少し前の1986年8月に、手塚は妻と共に仕事観光兼ねてイタリア行ったイタリアで6日ほど過ごした。そこで妻と一緒にシスティーナ礼拝堂でミケランジェロ描いた天井画見た。ちょうどその時ミケランジェロ天井画修復中で、手塚たちが足場に立つと「アダムとイブ」の部分を手を伸ばせば触ることができるほどの近くで見ることができた。妻の手によれば手塚そのときもうこん幸運に巡り合うのは何人もいない。有り難いことだ」と天にも昇る思い大い感激していたという。 また手塚は「この絵の端にアトムの顔を描いておこうかな。これから先、何年経って誰かがそのラクガキ見つけたら、さぞかし面白いだろうな」と冗談言って妻や同行者笑わせている。 トイレのピエタ登場するミケランジェロ寝転びながら描いた天井画」とはこのシスティーナ礼拝堂天井画のことである(システィーナ礼拝堂天井画ミケランジェロが板で足場作りそこに仰向けになって筆を持って描いたという逸話があり、手塚もその説明受けていた)。 また3日目にはフィレンツェにある「花のドゥオーモ」(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)でミケランジェロ作ったフィレンツェピエタ見ている。フィレンツェピエタは、通常の母子像であるピエタとは違いキリスト死体を他の数人支えるという作品ミケランジェロ75 - 80歳頃に手がけた作品。 これはミケランジェロ年老いて友人次々と失い自分の死を意識した作品であり、ミケランジェロが約半世紀ぶりにピエタ制作挑んだのは、それを自分墓所に飾るためだったことがジョルジョ・ヴァザーリ残した記録残っている。ミケランジェロはこの石像足元自分死体埋葬するようにとまで語っていたが、ミケランジェロハンマー本作一部壊して作ることを放棄したため未完の状態のままで花のドゥオーモ展示されている。 医師手塚の(スキルス性の)胃がん発見したのは、1988年3月15日である。その病院手塚胆石急性肝炎治療したのと同じ半蔵門病院であった手塚トイレに行く以外は病室仕事をしていた。 手塚治虫公式サイトでは、「トイレのピエタ」の主人公のモデル手塚治虫自身であろう語られている。

※この「手塚治虫と「トイレのピエタ」」の解説は、「トイレのピエタ」の解説の一部です。
「手塚治虫と「トイレのピエタ」」を含む「トイレのピエタ」の記事については、「トイレのピエタ」の概要を参照ください。

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