戸籍法及び寄留法から住民登録法への移行
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「住民票」の記事における「戸籍法及び寄留法から住民登録法への移行」の解説
詳細は「戸籍」、「壬申戸籍」、および「寄留」を参照 1872年(明治5年)施行の戸籍法(明治4年4月4日太政官布告第170号)による戸籍簿の本籍は住所地であり、当時の戸籍簿は身分登録より住民登録の機能を主にしていたとされる。その後、戸籍簿は改正を経る毎に身分登録を目的とする公簿としての性質を強くしていくが、戦後に住民登録法による住民票が作成されるまで、本籍地に居住している者は本籍地がその者の法律上の住所とされた。一方、本籍地以外を住所・居所とする場合の寄留についても、同じ太政官布告に規定されており、その届出が義務づけられていた。また、戸籍法取扱手続(明治19年10月16日内務省令第22号)では寄留地で編製される入寄留簿と本籍地で編製される出寄留簿が規定され寄留制度の一定の整備がなされる。その後、産業や交通機関の発展・発達等により住民の本籍地を離れての住所・居所異動が増加したことから、全ての住民の居住地把握を徹底するため、1914年(大正3年)3月31日に戸籍法から分化した寄留法が公布、1915年(大正4年)1月1日に施行され、住民の寄留届の励行を図ろうとされた。しかし、寄留届は住民にとって煩雑な届出の負担が大きく、それに対して得る実益は乏しいことから、徹底されていなかったとされる。また、市区町村等の行政機関としても、寄留届が行われた(もしくは市区町村長が職権により寄留者とした)寄留者のみが登録される寄留簿には住民全部が記録されているわけではなく、また居所寄留簿と住所寄留簿の2種の公簿に別けられていたことから事務は繁雑なものとなり、利用価値が乏しかったとされる。そのような中、1940年(昭和15年)頃から戸籍簿や寄留簿とは別に世帯台帳が調製され、食糧配給制度を実施するうえで使用されることになった。これを市区町村が住民を世帯別に登録し把握するための基礎資料として戦中から終戦後の行政事務の処理に利用するという実情があったとされる。このような背景のもと、住民の利便向上と行政事務の適正かつ簡便な処理に資するため、1951年(昭和26年)6月8日に住民登録法が公布され、1952年(昭和27年)7月1日、寄留簿と世帯台帳を統合し、戸籍簿の情報の一部を加えて市区町村の全住民を登録する住民票が作製されることになった。ただし、入寄留簿で登録対象であった外国人については、外国人登録簿に登録されることになっていたことから、入寄留簿を継承した住民票であったが、登録対象外とされた。なお、住民登録法には戸籍の附票も規定され、戸籍簿と住民票との情報連携の制度も同時に確立された。
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