戦闘機軍団の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「戦闘機軍団の危機」の解説
8月26日になってドイツ空軍による広範囲な基地攻撃が行われたが、悪天候で成果がなく41機を失い、イギリスは28機を失った。翌日は大規模な戦闘がなく、28日になってドイツ空軍が2波に分かれてイーストチャーチとロックフォードを目標に攻撃、第3波では多数の戦闘機による地上掃射攻撃が行われ、イギリス空軍は散発的に反撃、20機を失い、ドイツは31機を失った。29日にはBf 109とBf 110のみによる大編隊がケント上空でイギリスの戦闘機を誘い出そうとしたが、この日のイギリス戦闘機部隊はパーク少将の指示を守って編隊に爆撃機がいないことを確認すると引き揚げた。 30日は戦闘機のみの編隊に戦闘を仕掛けてこないことを見ると、ケッセルリンクは少しずつ爆撃機を混ぜて行かせた。また、Bf 109の航続距離の問題を緩和するため、ドーバーにほど近い基地に集結させた。午前はケンレイ、ビギン・ヒルを狙った攻撃で、イギリス空軍もこの日は激しく抵抗した。しかし、ドイツの第3波攻撃が行われる直前に電力供給の不具合で各レーダー・サイトがダウンし、早期警戒機能を失ったイギリス空軍は苦戦した。ドイツ空軍は36機を失ったが、イギリス空軍は26機を失った上、ビギン・ヒルの基地機能を喪失、レーダー・サイトや交戦指揮所も被害を受けた。ドイツ空軍は引き続き31日もビギン・ヒルに水平爆撃を敢行、レーダー・サイトは一部復旧していたものの、ビギン・ヒルのみならずホーンチャーチやクロイドンも被害を受けた。 9月1日、ドイツ空軍は航空機工場も攻撃の対象に加え、ビギン・ヒル、イーストチャーチ、デトリングへの基地攻撃を継続した。夜には夜間爆撃でスワンジー近辺の石油コンビナートが大きな被害を受けた。2日は基地攻撃がさらに強化され、イーストチャーチ、デトリングの基地施設が破壊された。夜間爆撃ではショート・ブラザーズ社やビッカース社の工場が爆撃された。3日~5日もドイツは基地と航空機工場への攻撃を続行したが、戦闘機軍団の司令官ダウディングが航空機工場の防空体制を整えさせたため、戦闘機の量産体制に支障は出なかった。6日には第11飛行群のパーク少将からも航空機工場の優先防衛が各飛行隊に指示された。 8月23日~9月6日の空戦でイギリス空軍は戦闘機295機を失い、損傷で171機が使用不能となり、新規生産や修理で補充された戦闘機は269機だった。頭を痛めていたのは搭乗員の消耗で、司令官ダウディングは策なき邪道の用兵と自ら評価したランク付けによる安定化を図った。これは熟練者を上位カテゴリーに振り、空襲を受けやすい南東部の基地へ配属させるものであり、一方で新兵を抱える飛行隊は、戦闘機の護衛がついていない爆撃機の迎撃に振り分けられた。
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