戦闘再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:10 UTC 版)
「レバノン侵攻 (2006年)」の記事における「戦闘再開」の解説
停戦の終了する2日から3日にかけて、IAFはレバノン全土に対する空爆を再開した。南部ではIDFとヒズボラの地上戦も再開され、激しい戦闘となった。 レバノンのフアード・シニオラ首相は3日、IDFの攻撃でこれまでに900人以上が死亡、3000人が負傷し、人口の4分の1の約100万人が避難所生活を余儀なくされていると述べた。 また、死傷者の3分の1は12歳未満の子供だと主張した。同日、世界の子供を支援するイギリスの非政府組織「セーブ・ザ・チルドレン」は、IDFのレバノン攻撃による死者のうち、45%が子供であることを明らかにした。同組織が確認したとする死者数は615人で、子どもが33%を占めているという。 また、同日付のイギリスの日刊紙『インデペンデント』が国際連合児童基金の推計として報じたところによると、100万人近くのレバノン人が避難民となっており、その45%が子供だとした。 8月4日、IAFはカアへ空爆を行い、シリア人やレバノン系クルド人の農夫33人が死亡した。 一方、ヒズボラ下部組織はティルス周辺から、長距離ロケットによりハデラ(ハイファ地区の町)を攻撃した。IDFは、5日深夜1時、ティルス北部のオレンジ果樹園にヘリコプターで降着、ヒズボラ陣地と見た塀を越えて侵入した。アパートメントの2階を砲撃し、住人数名が負傷した。ヒズボラ兵士との銃撃戦となり、IAF武装ヘリコプターが支援した。これにレバノン国軍が地対空ミサイルを発射するが反撃され、地上のレバノン軍戦車に着弾、レバノン兵数名が負傷した。午前4時にIDFは撤退したが、ヒズボラ7人、レバノン軍兵士1人が死亡、IDFは8人が負傷(2人重傷、6人軽傷)し、ハイファのラムバム病院へ空輸された。
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