ヘントの和平とその破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:36 UTC 版)
「オランダの歴史」の記事における「ヘントの和平とその破綻」の解説
1575年、スペイン王フェリペ2世は2度目の破産宣告をした。この影響でネーデルラント派遣軍への給料支払いが滞ったため、スペイン兵たちはブラバント州で略奪行為に出た。この略奪を問題視したネーデルラント南部の諸州はスペイン軍の撤退を要求し、1576年11月にヘントの和平(オランダ語版)が成立した。しかしこの和平体制は長くは続かず、1577年にはオラニエ公と、アルバ公に代わって1576年にネーデルラント全州総督となっていたフアン・デ・アウストリアの間で戦闘が再開される。 戦闘再開から間もなく、ユトレヒト州とアムステルダムはオラニエ公側に就くが、スペイン側も病死したフアン・デ・アウストリアの次のネーデルラント総督となったアレッサンドロ・ファルネーゼが主導して1579年1月にアラス同盟を結成、反乱州との対決姿勢を強めた。これに対し、反乱州は同じ月にホラント州およびゼーラント州でユトレヒト同盟を結成、翌年までにユトレヒト同盟は北部7州による同盟へと発展した。
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