戦前・日光線開業と特急新設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:09 UTC 版)
「けごん」の記事における「戦前・日光線開業と特急新設」の解説
1929年(昭和4年)10月10日 - 日光線全線開業により週末限定で「特急」の運行を開始。運行区間は浅草(初代、現在のとうきょうスカイツリー) - 東武日光間で、途中停車駅は杉戸(現在の東武動物公園)・新古河(初代)・下今市だった。速達サービスの対価として特急券を発売しなかったことから、後年の東武の「快速」(現在廃止)に相当する格の列車であり、また専用車両も特に設定されていなかった。 また、運行距離は135kmと100kmを超すものであり、このような長距離での電車による運行は当時鉄道について最先端をいくとされた関西でも大阪電気軌道・参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道、1930年 - )程度しか例がなかったため、その点でも画期的だった。 1930年(昭和5年) - 伊勢崎線直通列車と杉戸駅での増解結で運行する「急行」の運行開始。また、特急に展望車「トク500形」の連結開始。運行実態は「急行」の方が後年の「快速」(現在廃止)に近いものであった。また、特急に連結された展望車「トク500形」は省線二等車に相当する特別席として設定されていた。定員20名。車内の内装は当時の東海道本線特別急行列車「富士」の展望車に準じたオープンデッキ・サロンを有した造りだった。しかし、車両の構造としては制御装置を持った電車ではなく客車に近いものだったため、常に最後尾に連結せざるを得ず、使用時に際して入れ換えなどをしていたなどと言われる。 1931年(昭和6年):浅草雷門駅(現在の浅草駅)開業により「特急」を毎日運行開始。 1935年(昭和10年):デハ10系が「特急」に就役。 1937年(昭和12年):「特急」が鬼怒川温泉駅に乗り入れ。 1942年(昭和17年):「特急」運行休止。 1943年(昭和18年):「特急」廃止。「戦時輸送優先により」、沿線に軍需工場があった伊勢崎線・宇都宮線方面への輸送にシフトしたことによる。なお、末期は不定期列車2往復のみとなっていた。 トク500形(復元車)
※この「戦前・日光線開業と特急新設」の解説は、「けごん」の解説の一部です。
「戦前・日光線開業と特急新設」を含む「けごん」の記事については、「けごん」の概要を参照ください。
- 戦前・日光線開業と特急新設のページへのリンク