戦前・戦後の山陰夜行列車「いずも」から「出雲」へ
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1928年(昭和3年)12月25日:大阪 - 米子 → 浜田間(福知山線・山陰本線経由)で準急407・408列車(料金不要、戦後では快速列車に相当する)が運行開始。山陰本線・福知山線にはそれまで優等列車が存在せず、これが両線で初めての速達列車となった。列車愛称はなかった。 1934年(昭和9年)12月1日:準急407・408列車の運行区間が大阪 - 出雲今市(現・出雲市)間に短縮される。 1935年(昭和10年)3月15日:準急407・408列車が急行列車になり、401・402列車に変更され、運行区間は大阪 - 大社間に延長される。上り列車は同区間では最速となり8時間20分を要した。また、二等車との合造車ではあるが和食堂車が連結された。 1943年(昭和18年)2月:太平洋戦争の激化に伴い、急行401・402列車が廃止され、大阪 - 出雲今市間の普通列車になる。 1947年(昭和22年)6月29日:大阪 - 大社間で準急列車が運行開始。この時点でもまだ列車名はなかった。 1951年(昭和26年)11月25日:大阪 - 大社間の準急が、運行区間・列車種別を東京 - 大社間の急行に変更される(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結)。 12月2日:東京 - 大社間の急行列車に「いずも」の列車名が付与される。 1954年(昭和31年)10月1日:「いずも」の運行区間が、東京 - 大社・浜田間に延長(東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅で増解結。出雲今市 - 浜田間は快速列車。)。 1956年(昭和31年)11月19日:列車名が「いずも」から「出雲」に改称。急行「せと」との併結を取りやめ、単独運転になる。 1961年(昭和36年)3月1日:全区間が急行列車になる。
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