戦前・戦後の山陰夜行列車「いずも」から「出雲」へとは? わかりやすく解説

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戦前・戦後の山陰夜行列車「いずも」から「出雲」へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:59 UTC 版)

サンライズ出雲」の記事における「戦前・戦後の山陰夜行列車「いずも」から「出雲」へ」の解説

1928年昭和3年12月25日大阪 - 米子浜田間(福知山線・山陰本線経由)で準急407408列車料金不要戦後では快速列車相当する)が運行開始山陰本線福知山線にはそれまで優等列車存在せず、これが両線で初めての速達列車となった列車愛称はなかった。 1934年昭和9年12月1日準急407408列車の運行区間大阪 - 出雲今市現・出市)間に短縮される1935年昭和10年3月15日準急407408列車急行列車になり、401402列車変更され運行区間大阪 - 大社間に延長される上り列車は同区間では最速となり8時間20分を要したまた、二等車との合造車ではあるが和食堂車が連結された。 1943年昭和18年2月太平洋戦争激化に伴い急行401402列車廃止され大阪 - 出雲今市間の普通列車になる。 1947年昭和22年6月29日大阪 - 大社間で準急列車運行開始。この時点でもまだ列車名はなかった。 1951年昭和26年11月25日大阪 - 大社間の準急が、運行区間・列車種別東京 - 大社間の急行変更される東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅増解結)。 12月2日東京 - 大社間の急行列車に「いずも」の列車名付与される1954年昭和31年10月1日:「いずも」の運行区間が、東京 - 大社・浜田間に延長東京 - 大社間は3両で「せと」と併結運転、大阪 - 大社間は6両で、大阪駅増解結出雲今市 - 浜田間は快速列車。)。 1956年昭和31年11月19日列車名が「いずも」から「出雲」に改称急行「せと」との併結取りやめ、単独転になる。 1961年昭和36年3月1日:全区間急行列車になる。

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