戦争中のポーパス級
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/15 13:55 UTC 版)
「ポーパス級潜水艦 (アメリカ海軍)」の記事における「戦争中のポーパス級」の解説
ポーパス級の就役によりアメリカ海軍の潜水艦隊の質は向上したが、所詮は小型潜水艦の拡大版ということもあり、徐々に不満や改正要求が出てくるようになった。その代表的なものとしては、魚雷射線数の少なさであった。魚雷発射管の増加はP-5型建造時にも検討されていたが、予算等の都合上見送られた経緯があった。そこで、外装の発射管を装備することで増強を図ることになったが、入港時にしか魚雷を装填することができず、使い捨てではないにせよ一度発射すると入港して補給・装填しない限り不必要なものと化する使いにくい代物であった。それでも外装発射管は、喪失艦を除く全艦に装備された。また、初期艦の機関にはトラブルが多かったため、太平洋戦争突入後、哨戒間のオーバーホールの際に換装が実施されている。 太平洋戦争開戦後の1942年夏ごろから、日本側に存在を目視されにくくするため艦橋構造の縮小が図られることとなった。まず後部の整流覆いが撤去され、ほどなく前部と潜望鏡支柱の覆いも撤去されて、いわゆる「凸型」のシルエットとなった。この改正も哨戒行動から帰還しオーバーホールに入った艦から順次実施され、ガトー級潜水艦の前期竣工艦までこの処置が取られた。またレーダーも順次装備されていった。とはいえ船体の小ささによる拡張性の低さは否めず、タンバー級潜水艦以降に実施された備砲の大型化など重火器の搭載は見送られた。 太平洋戦争開戦後は、第一線にあった大型潜水艦の中で、アルゴノート (USS Argonaut, SS-166/APS-1) やナーワル級潜水艦を別にするともっとも艦齢が古かったものの、緒戦期には新鋭艦の一翼として広く活動した。しかし、ガトー級やバラオ級の各艦が大量に戦線に投入されるに及んで、ポーパス級は次第に練習艦などに転用されていった。これは、ポーパス級以外のガトー級以前の潜水艦についても同様である。P-1型は1943年中に、他の2タイプも1944年暮れまでには第一線から退いている。P-1型、P-3型、P-5型合わせて4隻が戦没した。 なお、詳細な戦歴は各艦の項を参照されたい。
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