戦争中のナーワル級
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/03 03:41 UTC 版)
「ナーワル級潜水艦」の記事における「戦争中のナーワル級」の解説
ナーワル級およびアルゴノートは問題点がありながらも、さらなる建造が計画されていた。しかし、建造に時間がかかる上、建造予算の逼迫により中型潜水艦に目が向けられるようになり、結局ナーワル級もアルゴノートも新たな増備は行われなかった。就役後も不具合部分を改修し続けたが、根本的な問題解決にはつながらなかった。 ナーワル級はアルゴノートとともに、太平洋戦争時には第一線にあった大型潜水艦のうち最も旧式であった。また、機関の更新や魚雷射線数の少なさを指摘されており、順次能力改善の更新工事が行われた。ノーチラスが開戦前から更新工事を実施したのに続き、ナーワルも哨戒間のオーバーホール時に工事が行われた。工事の結果、エンジンはGM製258型に換装され、レーダーも装備されていった。魚雷射線数の少なさは外装発射管を前後に2門ずつ装備することで、射線数だけで言えばタンバー級以降の潜水艦と同等になった。ノーチラスにはガソリン搭載機構も設置された。なお、ポーパス級以降の潜水艦で実施された艦橋構造の大規模な縮小工事は実施されなかった。一連の工事を終え、速力についてはエンジン換装である程度改善されたものの、いかんせん大型の艦体では問題解決は難しかった。 それでも、ナーワル級はアルゴノートと並ぶアメリカ潜水艦随一のキャパシティの広さを誇っており、部隊や物資の輸送用にはうってつけであった。1942年8月には、ノーチラスがアルゴノートとともにマキン奇襲作戦を敢行。1943年5月にもノーチラスとナーワルがアッツ島への奇襲部隊揚陸に従事した。強力な砲兵装も、この手の作戦には有用であった。1943年以降は実質輸送潜水艦として使用され、オーストラリアを拠点としてフィリピン方面の抗日ゲリラなどへの支援任務や避難民救出に活躍した。ナーワル級は大戦終了を待たずして本国に回航され、1945年に相次いで除籍された。 なお、詳細な戦歴は各艦の項を参照されたい。
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