成果を上げる経済攪乱工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:23 UTC 版)
「サルバドール・アジェンデ」の記事における「成果を上げる経済攪乱工作」の解説
こうした国外からの妨害工作は見事に成果を上げ、物資の不足とインフレを招いた。それに加えて、アジェンデ政権の経済的失政を指摘する声もある。 当初、アジェンデ政権のペドロ・ブスコビッチ経済相の経済政策は政府支出の拡大、国民の所得引上げによって有効需要を生み出すことにあり、そのための手段としての賃金上昇政策と農地改革が採用された。人民連合の綱領でも謳われていたこの農地改革は驚異的なペースで進み、フレイ政権が6年間で収用したのと同等の農地面積が就任からわずか1年で収用された。地主には30年国債という形で支払いが行われた。ただ、急激なインフレ(実態の為替レートでもチリエスクードは6分の1以下となっていた)、国債は紙くず同然になっていた。 さらに、それまでチリの銅産業を支配しており、税制の関係からチリにとって極めて不利な資本流出を起こしていた米国系のアナコンダ・カッパー・マイニング・カンパニーやケネコット・カッパー・カンパニーなどの外資系鉱山会社が国有化の上でコデルコに統合され、チリの銅山は「ポンチョを着て、拍車をつけ」チリの下に戻った。この銅山の国有化はチリの国会で全会一致で可決されたものである。その国有化法は「公正なる補償」を原則としており、過去における過剰利益を補償額から差し引くことを可能としていた。しかし、過去の過剰利益を計算した結果、補償額よりも控除額の方が大きくなってしまい、原則は有償だったが実質的には無償という結果になった。これについてニクソン政権は「無償で接収した」と喧伝したが、チリの会計検査院は国有化法を支持し「補償は不要」との決定を下した。それどころか、5億ドルの超過利潤が有るとして米国に請求、米国は態度を硬化させた。 こうした政策に関連して、チリの外貨準備高が1971年末に3000ドルにまで減少するなど急速に底をついたのは、チリ経済の実力に見合わない支出拡大のせいだったとする説がかつては聞かれた。とはいえ、軍事クーデターを引き起こすべくニクソン政権が実行した金融封鎖政策と国営銅産業に対する妨害工作、トラック所有者に実行させたストライキがチリ経済に深刻な影響を与えたのは事実である。結果的に、民間投資は激減し、更なる資本流出が進む悪循環が生じた。 クリントン政権期に膨大な数の公的文書が機密解除された現在では、「ニクソン政権による金融封鎖その他の経済攪乱工作はアジェンデ政権混乱の一因であった」とする説が有力である。
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