慣習の成立と運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 19:13 UTC 版)
「ソールズベリー・ドクトリン」の記事における「慣習の成立と運用」の解説
第二次世界大戦中のドイツ降伏後、労働党は直ちに連立政権からの離脱を図って総選挙に備えた。その結果は労働党の地滑り的な勝利で、党として初めて絶対多数を得て掣肘なく政策を実行する機会を得た。そのため、貴族院改革実行の風向きが増すとともに、労働党が積極的に議会法を用いて貴族院の金銭法案拒否権を封じる可能性が懸念された。 そこで、当時の貴族院院内総務クランボーン子爵は1945年8月に「貴族院が国民の見解を有する法案に反対するのは誤り」として、両政党間の緊張緩和を図った。また、クランボーン卿は続く10月の審議にも「この精神に反するものは議会の決定を圧し殺している」とまで述べて、慣習の定着を促している。この慣習が成立できた背景にはクランボーン卿と野党院内総務アディソン卿との協調関係があったとされる。 その後、労働党の政権担当期にこの慣習がしばしば適用されて議会慣習化している。すなわち、1977年航空・造船業法(英語版)及び1978年スコットランド法(英語版)の審議過程で二度用いられて法案成立の決定打となった。また、保守党の貴族院野党院内総務第6代キャリントン男爵も労働党政権期に非公選議院が国民に選ばれた庶民院の意思を覆すべきではないとする答弁を行っている。この後、慣習は1999年に転機を迎えることとなる。
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