念仏無間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:10 UTC 版)
日蓮は、浄土経典は釈迦説法の中で方便権教(仮の教え)の部類であるとする。その根拠は『法華経』の開経である『無量義経』に「未顕真実」と説かれていること、『妙法蓮華經玄義』や『注無量義經』といった註釈書に、「四十余年未顕真実」とあることに基づく。 また阿弥陀如来の因位である法蔵菩薩が立願した四十八願のうち、第十八願の「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法」という誓文に背き、『法華経』を誹謗しているとし、この事は『法華経』「譬喩品」に「この経を毀謗する者は阿鼻獄(無間地獄)に入る」と説かれている通りであるから、念仏は無間地獄への法であるとする。 ただし『無量寿経』の文脈からすれば「正法」とは「念仏」のことを指すと読むのが自然であり(無量寿経には『一向専念無量寿仏』と、諸行を捨てて念仏に専念するよう説かれ、流通分においては「たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法(専修念仏の教えが説かれた『無量寿経』)を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。(中略)もし衆生ありてこの経を聞くものは、無上道においてつひに退転せず。このゆゑにまさに専心に信受し、持誦し、説行すべし」と説かれている)、五時八教説に従うなら『無量寿経』が説かれた時点では未だ説かれていない『法華経』を指していると解釈するのは不自然である。 また日蓮は、法然が著した『選択本願念仏集』(『選択集』)』の以下の記述について、念仏以外の自力の修行を非難したものとし、「捨」・「閉 」・「閣」・「抛」の字を抜き出して浄土宗批判の標語「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう)とした。「捨閉閣抛」とは、「(法然は、)捨て、閉じ、閣(さしお)き、抛(なげう)って(念仏に帰せ)」と説いたとする意である。 ただし『選択集』の原文においては、「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。」と記されている。「出離生死のためには聖道門と浄土門の二つの法がある」と、聖道門に浄土門と等しい価値があることを認めつつ、機根(能力)の劣った衆生は浄土門を優先して実践すべきこと、浄土門の中でも特に優先して称名念仏を実践すべきことを説くのがこの文の趣旨である。衆生の機根に鑑みて優先して修めるべき修行法を論じるものであり、「『法華経』を捨てよ」とは書いていない。
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