末法観と法華経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:53 UTC 版)
日蓮は、鎌倉仏教の他の祖師たちと同様、鎌倉時代をすでに末法に入っている時代とみなしていた。そして、法華経を、滅後末法の世に向けて説かれた経典とみなし、とりわけ「如来寿量品」を、在世の衆生に対してではなく、滅度後の衆生の救済を目的として説かれたものとみなした。そして法華経に説かれた 久遠本仏の常住 遣使還告の譬 勧持品二十行の偈文 等を「末法悪世の相」を説いたものとみなした。そして当時の現実の世相(鎌倉幕府内部の権力闘争、天変地異、モンゴル帝国からの使者の到来、釈迦を第一に尊ばない禅や阿弥陀信仰の盛行など)を、日本において法華経が蔑ろにされてきた結果とみなした。日蓮にとっては「末法における顛倒の衆生」、「末法重病の衆生」を済度しうる唯一最勝の良薬は「法華経」のみであった。「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と激しく他宗を攻撃する「四箇格言」は、法華経のみが末法において衆生を救済する唯一の教義であり、他の教えは、かえって衆生を救済から遠ざけてしまう、という確信に基づくものであった。
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