末法思想の広がりと浄土教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
「院政期文化」の記事における「末法思想の広がりと浄土教」の解説
仏教では釈迦の没後を、正法・像法・末法の3時代に区分している。末法思想とは、こうした時代区分にもとづく仏法衰滅を説く宿命的歴史観であり、平安時代中葉には、日本仏教で正法・像法各千年説が有力となって永承7年(1052年)が末法の初年と考えられた。 当時、武士の台頭や僧兵の横暴、公家勢力の後退などによる社会不安、天変地異・疫病・火災などの自然災害を経験した人びとは、はっきりと末法を意識するようになり、無常観や厭世観がかき立てられていった。こうしたなか、西方極楽浄土への往生を願う浄土教が盛行し、末法思想の流行に拍車をかけた。
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