末法思想との関係
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院政や武士の台頭による政治の流動化、天災や戦乱による社会の混乱を背景として、末法の世の実感とそこからの救済願望が生まれた。そのため浄土信仰が盛んとなり、法然を始め新しい仏教諸宗派が登場したが、それは伝統的な神祇信仰の変容と再生も促した。この終末意識には粟散辺土観も影響した。仏教のインド中心の世界観では、末法の世の日本の人間は堕落していて救済されがたく、正当な教化の方法では救済できないとされる。そこで仏が仮に神の姿をとってこの辺土に現れ、厳罰をもって人々を教化し救済を志向したというのが、本地垂迹説の意図するところである。こうして神々は、共同体の神から個人を救済する神へと変貌を遂げた。
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末法思想との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 19:46 UTC 版)
また『涅槃経』は、末法思想にすすんで言及し、教説を展開している。末法思想は『大集経』の「我が法の中において闘諍言訟し白法隠没す」を根拠として『法華経』等の諸経に説かれる仏教の衰退をあらわす下降史観であるが、一般的には仏教は末法そのものを肯定したままの感がある。このことから「仏教はニヒリズムなので救いがない」と批判されることもある。 しかし『涅槃経』では末法を簡潔に否定している。たとえば、四依品・菩薩品・月喩品などでは「是の大般涅槃経が地中に隠没するを以って正法の衰相といい、この経が没し終って諸の大乗経も滅没し、この経が誹謗された時は仏法が久しくして滅す」とあり、先の大集経の「白法隠没」の経文とリンクさせている事が窺えるほか、『涅槃経』の隠没=仏教の衰退と定めていることは注目すべき点である。また「正法滅し非法増長した悪世においても、再び是の大般涅槃経が現れ大教下を与える」などと随所において、仏性及び仏法僧の三宝の一体・常住・不変を大きな柱として、最終的に末法を方便説として定め否定している。 なお察するに、この展開は当初否定しつつあった闡提成仏を最終的に認めたのと同じく、仏教における段階的説法の形式に則し、その最終形を表したもので、一切の衆生を『涅槃経』によって救わん、という経典作者の意図をして大乗仏教の究極の目標を徹底的に示した記述である。
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