復原に至る経緯とは? わかりやすく解説

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復原に至る経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)

東京駅」の記事における「復原に至る経緯」の解説

かつての丸の内側の赤レンガ駅舎1945年昭和20年5月25日アメリカ軍による空襲東京大空襲)により炎上内装屋根焼失した戦災復興工事によって、失われたドーム屋根かわって木造8角形屋根載せられ内部3階の窓の開口部保持されたが、残存しアーチなどのレリーフ新設されローマパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後1947年昭和22年)、開業当初の状態より一回り規模縮小して修復された。GHQ体制応急処置的に工事が行われ、屋根小屋組については復員してきた海軍技師5年もてばよいということで、薄い木材トラス造り応急的工事をしたという。一方実際に工事あたった関係者は、あくまで国鉄内部技術者修理したであって旧海軍技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧され駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった旧・日本国有鉄道国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想出して延期しており、1987年昭和62年4月1日分割民営化時には当駅全体土地3分割伴った再開発構想提案され赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガ東京駅愛す市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存市民運動起こった1988年昭和63年)、政府学識者委員会による東京駅周辺地区再開発構想取りまとめ赤レンガ駅舎現在地での形態保全方針決定しJR東日本などの検討により1999年平成11年)、本来の形態復原することとなったまた、2003年平成15年4月18日には国指定重要文化財指定された。

※この「復原に至る経緯」の解説は、「東京駅」の解説の一部です。
「復原に至る経緯」を含む「東京駅」の記事については、「東京駅」の概要を参照ください。

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