復元塩田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 11:44 UTC 版)
宇多津臨海公園の敷地内には、入浜式の復元塩田が設置されている。町民や観光客を対象にかつての塩づくり体験学習が行える施設として設置された。塩田の広さは900㎡で、塩分が付いた砂をろ過する「沼井(ぬい)」が4カ所設置されている。また塩田に隣接して、入浜式の塩づくり過程で生成されるかん水を保管しておく「かん水壺」と呼ばれる建屋や、かん水を煮詰めることで塩の結晶化を行う平釜が設置された「釜屋(かまや)」、塩田水門が隣接して復元されている。 讃岐地方の塩田は、江戸期に入ってから整備されたことから、宇多津の塩田も入浜式が採用され明治期以降本格的に稼働し、昭和30年代まで継続されていた。このことから、入浜式塩田は、宇多津町における塩業を象徴する塩田といえる。我が国の塩田の種類は、大別すると、揚浜式塩田、入浜式塩田、流下式塩田の三つとされている。揚浜式塩田は、海藻の代わりに砂浜を利用していた。しかし、潮の干満に左右されやすいという弱点があるため、江戸時代には干満差の少ない入浜式の需要が高まった。 入浜式塩田は、揚浜式塩田と比較すると大量生産が可能であり、そこで作られた瀬戸内海沿岸の入浜式塩田の代表的な塩の産地十カ所「十州塩」は品質が高いと評価され全国の80%を占めた。そのうえ、気象条件がよく干満の差が大きいうえに、細砂が入手しやすい瀬戸内区が中心だった。流下式塩田は、これまでの作り方とは異なり、「砂を動かす」から「水を動かす」方法に変化した。流下盤と枝条架(砂を運ぶこともなく、労働力を大幅に軽減できる)の組み合わせで、水分を蒸発させる方式である。また、風力を利用するので、曇りの日や冬でも生産ができる。 宇多津町を含む瀬戸内地域の塩田は、昭和30年前後から流加式塩田に転換するものの、イオン交換膜法と呼ばれるイオン交換膜と電気エネルギーを用いた独自の製法が確立し、対外輸入や製造コストなどから、1971年(昭和46年)4月臨時塩業近代化措置法の制定に基づく「第四次塩業整備事業」により、すべて廃止することとなった。 なお、宇多津臨海公園内の復元塩田敷地内にある水門、旧仲桝塩田水門(きゅうなかますえんでんすいもん)が移築復元されており、干潮時に入浜式塩田に必要な海水内の不要な海水の排水用に作られた水門である。2009年(平成21年)1月に登録有形文化財(建造物)に登録されている。 宇多津町のかつての基幹産業であった塩業の資料・施設として、復元塩田では、ポンプで海水をくみ上げる以外は稼働していた当時を忠実に再現しており、現在でも少量ではあるが定期的に塩の生産を行っている。
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