後世の画家たちへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:04 UTC 版)
「フラ・アンジェリコ」の記事における「後世の画家たちへの影響」の解説
フラ・アンジェリコの弟子ベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画に慎重に描かれた肖像画やその絵画技法からドメニコ・ギルランダイオとの関連性を見ることが出来る。ギルランダイオはフィレンツェの有力者をパトロンとし、大規模な構想の作品を次々に描いた。ギルランダイオはミケランジェロの師でもあった人物であり、これらの芸術家の系譜を通じてフラ・アンジェリコの影響は盛期ルネサンスへとつながっている。 1508年にミケランジェロはシスティーナ礼拝堂天井画制作を引き受けた。このときのシスティーナ礼拝堂には、ギルランダイオ、ラファエロの師ペルジーノ、ボッティチェッリらが手がけた『キリストの生涯』『モーゼの生涯』をテーマにした壁画が描かれていた。これらの作品はいつものバチカンの要望どおり大規模で豪奢なもので、構成の複雑さ、人物像の多さ、細部にわたる細密な表現、使用する金箔の量などを画家たちが競い合っているかのような豪華絢爛たる壁画である。これらの壁画の上部にはきらめく衣装と黄金の冠を身につけた歴代ローマ教皇の肖像画が並び、ミケランジェロもこのような壮麗な場所で絵画制作を行った経験はなかった。そして、ローマ教皇ユリウス2世が十二使徒の衣装を壁画と同様に壮麗に飾り立てるよう求めたところ、ミケランジェロは十二使徒はこの上なく清貧だったではないかと言い返したというエピソードがある。 フラ・アンジェリコはサン・マルコ修道院の小部屋に、自身の絵画技術と独自の演出によって美しいフレスコ壁画を現出した。高価な素材である青系の顔料や金箔などを使用しなくても素晴らしい作品を描くことが出来るということを証明したのである。そしてフラ・アンジェリコと同じくミケランジェロは、飾り気のないフレスコ画技法、明瞭で鮮やかな柔らかな色彩、重要な役割を果たす数人の人物像、動きや身振りの優れた表現手法などを作品に取り入れることによって、ミケランジェロは自身がフラ・アンジェリコの直系であることを宣言したのである。イタリアルネサンス美術の専門家フレデリック・ハート (en:Frederick Hartt) はフラ・アンジェリコのことをレンブラント・ファン・レイン、エル・グレコ、フランシスコ・デ・スルバランのような後世の画家たちのさきがけとなる「神秘的な預言者」と表現している。
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