彭徳懐の建白と毛沢東の批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 07:21 UTC 版)
「廬山会議」の記事における「彭徳懐の建白と毛沢東の批判」の解説
7月14日、国防部長だった彭徳懐が毛沢東に私信を送り、その中で総路線は正しかったとしつつ、「小ブルジョワ階級の熱狂性が、しばしばわれわれに『極左』の誤りを犯させました」「1958年の基本建設は一部でいささか急ぎすぎ、目標達成が遅れた」と進言した。この批判はまっとうなものであったが、失墜しつつある自身の権威をさらに落としかねないと考えた毛沢東は、16日に私信のコピーを配布し『彭徳懐同志の意見書』として会議で討論することに決定した。彭は手紙が無断で公開されたことに憤り、毛を批判する一方、急きょ書かれたものであり十分に意見を述べていないなどの理由で回収を求めたが既に遅く、康生は「あえて建議します。甘やかしてはならない。」との私信を毛に送りつけていた。 会議で彭徳懐の意見に黄克誠(国防部副部長)、周小舟(湖南省党委書記)、張聞天(外交部副部長)やほかの出席者が支持を表明し、劉少奇、朱徳らも緩やかな表現で批判を加え、一部が部分的な言葉遣いに意見した。これを自身の権力に対する脅威と捉えた毛沢東は、23日の大会演説で手紙を「ブルジョワジーの動揺性」であり、党に対する攻撃、右傾機会主義の綱領であると激しく批判した。 党に対する攻撃と毛沢東に言われてしまった出席者は、彭徳懐支持から一転して「主席に辞任を迫った」「資産階級民主主義者」「党内の投機分子」などと批判を加えた。毛沢東は大躍進に誤りなど全くないと発言し、三面紅旗が倒れれば党と人民に対する重大な損失であると誇張した。 8月2日から始まった8中全会では、彭徳懐ら4人を「彭徳懐反党集団」と定性(政治的なレッテル張り)し、『彭徳懐同志を中心とする反党集団の誤りに関する決議』、『党の総路線を守り、右傾機会主義に反対し闘争する』議案を採択し、4人は大躍進を批判し、経済発展に反対したと定性し、4人はそれぞれ職務を解かれ、彭徳懐の国防部長と中央軍事委員会副主席のポストには林彪が就任した。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}会議により失脚した関係者 彭徳懐 黄克誠 張聞天 周小舟 16日、閉会の際に毛沢東は「過去10年続いてきたブルジョワジーとプロレタリアートの階級闘争が廬山に現れているが、中国と我が党はこの闘争を少なくとも20年、50年でも闘争し続けなければならない」と結論付けた。
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