幕張メッセからの追放
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「コミケ幕張メッセ追放事件」の記事における「幕張メッセからの追放」の解説
当時、1989年に起きた宮崎事件の影響によるオタクバッシングや、1990年8月に和歌山県田辺市の主婦による「出版物の行き過ぎを規制するよう行政当局の対策を強く促したい」という旨の投書が地方紙「紀州新報」に掲載された事を契機として主婦を中心とする住民運動に発展して性描写を含む青年向けコミック誌を警察・行政に持ちこんだことに端を発する有害コミック騒動の流れが続いた。そんな中、1991年2月、男性向け同人誌を委託販売していた東京都内の書店、「コミック高岡」・「まんがの森」新宿店・「書泉ブックマート」の店長及び店員が猥褻図画販売目的所持で警察の取締りを受ける。また、『ミニーズクラブ』等美少女系同人誌サークルが摘発を受ける。この他印刷業者なども含め女性3人を含む総計75人が逮捕または書類送検されている。 そういった最中、幕張メッセを管轄する千葉西警察署に届けられた拾得物の中に無修正の同人誌が含まれていた。この同人誌を問題視した千葉西署は、コミックマーケット準備会(以下準備会)と幕張メッセに対し事情聴取を行った。社会的認知度の高いイベントへの貸し出しを優先する方針をとっていた幕張メッセはこの事情聴取を受けて、春頃、すでにコミケの開催告知やサークル申込が済んでいたにもかかわらず、使用拒否を通告した。 これを受け準備会は急遽古巣である晴海の東京国際見本市会場に会場使用を依頼した。この時もし晴海の会場から断られた場合、コミケは開催の目処の立たないまま終了するしかないという切迫した状況にあった。晴海会場側は、見本誌の内容チェックを通じて猥褻図画とみなされる同人誌が持ち込まれることのないよう十分な対策を取ること、各同人誌印刷所への協力の要請を行うことを旨とした申し出に応じて開催許可を出し、コミケ40は期日的には予定通りの開催に漕ぎつけた。 その後千葉県では1994年春に青少年健全育成条例が改正され、ページ全体の20%以上もしくは20ページ以上の性表現を含む本をほぼ自動的に「有害図書」指定する(包括指定)という厳しいものとなり、同人誌即売会は千葉県では事実上開催不能に至った。このため1994年10月2日に幕張メッセで開催予定だった同人誌即売会・コミックシティは、千葉県警からの注意を受けて直前になって中止を決定した。この事件は幕張コミックシティ中止事件と呼ばれる。この後コミックシティは1994年11月3日に晴海にて「コミックシティイン東京・晴海」を開催したが、その際に主催の赤ブーブー通信社は千葉県の条例とほぼ一致する「赤ブーブー通信社コミックシティにおける自主倫理規定 18歳未満に販売できない図書の基準」を作成し、出展サークルに対してその遵守を求めた。しかしこれは同人誌業界内外で批判を浴び、数ヵ月後に撤回している。
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