市谷冨久町とは? わかりやすく解説

富久町

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 06:14 UTC 版)

日本 > 東京都 > 新宿区 > 富久町
富久町
町丁
北緯35度41分36秒 東経139度42分55秒 / 北緯35.693286度 東経139.715178度 / 35.693286; 139.715178
日本
都道府県  東京
特別区 新宿区
地域 牛込地域
人口情報2025年(令和7年)3月1日現在[1]
 人口 7,182 人
 世帯数 4,266 世帯
面積[2]
  0.228727649 km²
人口密度 31399.79 人/km²
郵便番号 162-0067[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 練馬
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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富久町(とみひさちょう)は、東京都新宿区町名住居表示実施済み。丁番の設定がない単独町名である。

地理

ローレルコート新宿タワー
富久クロスコンフォートタワー

東京都新宿区のほぼ中央部に位置する。旧牛込区牛込地域で、町域の北東から東は新宿区余丁町市谷台町住吉町に接し、町域の南は同区愛住町四谷四丁目・新宿一丁目に、西は新宿五丁目・六丁目にそれぞれ接する。

町域南端付近は靖国通りに接している。外苑西通りが町域内の靖国通りにある富久町西交差点を始点にして南に向かって伸びている。

町域内は主に住宅地として利用される。富久町の一部はバブル時代地上げが行われて多くの家屋が立ち退き、バブル崩壊後虫食い状態になっていた。そこで、都市再開発が行われ、2002年に外苑西通り東側の地上げ跡地に超高層マンションローレルコート新宿タワーが建った。また、外苑西通り西側の西富久地区では、早稲田大学の協力の元、再開発が行われ、2015年に富久クロスが完成した。

地価

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、富久町32-6の地点で90万9000円/m2となっている[5]

歴史

1983年の住居表示実施までは、ほぼ全域が市谷冨久町(いちがやとみひさちょう、この冨久の「冨」はワかんむり)であった。市谷冨久町は公称地名としては消滅しているが、バス停の名称などで見かけられる(但し、バス停名の表記は「市ヶ谷富久町」である)。

地名の由来

明治時代に町が成立した時、「久しく富む町」という住民の願いから付けられたものといわれている。

町名の変遷

  • 江戸時代 - 市ヶ谷自証院門前・市ヶ谷修業院門前・市ヶ谷薬王院門前・武家地・寺地
  • 1872年7月 - 上記の区域をもって牛込区市ヶ谷冨久町が成立(のちに市谷冨久町に変更)。
  • 1983年8月 - 住居表示が実施され、市谷冨久町の大部分と市谷台町余丁町の各一部をもって富久町が成立する(この際市谷の冠称が除かれた理由は不明)。なお、市谷冨久町の残余は1986年11月、余丁町及び住吉町のうちとなり消滅した。

世帯数と人口

2025年(令和7年)3月1日現在(新宿区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[6]
4,801
2000年(平成12年)[7]
4,825
2005年(平成17年)[8]
5,270
2010年(平成22年)[9]
5,162
2015年(平成27年)[10]
5,729
2020年(令和2年)[11]
7,407

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[6]
2,429
2000年(平成12年)[7]
2,600
2005年(平成17年)[8]
2,898
2010年(平成22年)[9]
2,930
2015年(平成27年)[10]
3,071
2020年(令和2年)[11]
4,336

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[12]

番地 小学校 中学校
8~9番 新宿区立四谷小学校 新宿区立四谷中学校
1〜7番
10〜41番
新宿区立富久小学校 新宿区立新宿中学校

交通

鉄道

鉄道駅はないが、東京メトロ丸ノ内線新宿御苑前駅都営新宿線曙橋駅都営大江戸線若松河田駅などが利用可能な範囲にある。

バス

道路

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

  • 事業所数 : 243事業所
  • 従業員数 : 4,759人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
190
2021年(令和3年)[13]
243

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
3,903
2021年(令和3年)[13]
4,759

施設

かつて存在した施設

出身および在住の著名人

その他

日本郵便

脚注

  1. ^ a b 令和7年町丁別世帯数及び男女別人口情報”. 新宿区 (2025年3月27日). 2025年3月28日閲覧。(CC-BY-2.1)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年2月4日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 富久町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  6. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  12. ^ 通学区域”. 新宿区 (2018年8月13日). 2024年2月4日閲覧。
  13. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  14. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  15. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

関連項目

外部リンク


市谷冨久町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:24 UTC 版)

新宿区」の記事における「市谷冨久町」の解説

現在の富久町のほぼ全域(ただし、東京都立小石川工業高等学校敷地南東接すごくわずか一画と、富久町保育園北東接すごくわずか一画は除く)と、余丁町ごく一部余丁町児童遊園の西に隣接する一画)。当時東大久保一丁目 - 番衆町(西)・花園町 - 四谷四丁目 - 愛住町(南)・市谷台町(東・のちに一部住吉町)・余丁町(北)に隣接1983年昭和58年8月1日住居表示実施により富久町誕生し、これにより市谷冨久町のほぼ全域消滅残りごくわずか区画のうち、善慶寺東洋美術学校南側付近一画住吉町に、余丁町児童遊園の西に隣接する一画余丁町として、それぞれ1986年昭和61年11月4日住居表示実施され市谷冨久町は消滅。ただし、小石川工業高等学校敷地の東に接す道路部分(現市谷台町)はその後2002年平成14年4月1日まで市谷冨久町として存続(なお、市谷冨久町の「冨」は「ワかんむり」、富久町の「富」は「ウかんむり」)。

※この「市谷冨久町」の解説は、「新宿区」の解説の一部です。
「市谷冨久町」を含む「新宿区」の記事については、「新宿区」の概要を参照ください。

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