巴紋の左右呼称論争とは? わかりやすく解説

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巴紋の左右呼称論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:46 UTC 版)

「巴」の記事における「巴紋の左右呼称論争」の解説

家紋における巴紋左右呼称問題長い間家紋研究において最大論点である。巴紋には細い部分(仮に尾)から円い部分(仮に頭)に至る進行方向時計回りのものと、その逆の反時計回りのものがあり、用法などにおいて区別がされることも多い。家紋に関する現在の著書などではそれらに右と左の名を与えた名称が用いられるがそれがどちら向きのものを意味するかは時代文献などにもより、必ずしも一定していない。 家紋を描く上絵師は、その技法上の理由から尾が流れてゆく方に従って名称としており、簡単な見分け方として親指を外に出して拳を握った時、左巴左手親指指し示す方向右巴右手親指指し示す方向参考とする。歴史的にはこの使用例が多い。 大正15年1926年)、沼田頼輔は『日本紋章学』において、その名称の由来雅楽用いられる大太鼓だだいこ)に意匠された巴文様に求めた沼田は最も古式留める雅楽を行う四天王寺大太鼓配置参考とし、『四天王寺聖霊絵巻』に描かれる大太鼓巴文様を引用し、左に置かれ大太鼓三つ巴、右に置かれ大太鼓右巴描かれることから四天王寺三つ巴回転方向左巴(頭が左向き)、二つ巴回転方向右巴(頭が右向き)と説いている。さらに説話集江談抄』(1104年 - 1108年頃に成立)には「太鼓左右知事ハ、左ニハ鞆絵乃数三筋也。亦筒モ赤ク色採ル也。右ハ鞆絵乃数二筋、筒モ青ク色採也」と記され、また法隆寺所蔵大太鼓銘文には、二つ巴太鼓には「右方」、三つ巴太鼓には「左方」と記されていることにも言及し自説補強している。この説は丹羽基二加藤秀幸(拓殖大学名誉教授)も度々支持しており、紋章学者にはこの説を支持する者が多い。 一方日本家紋研究会高澤等は、平成20年2008年)に発表した著書家紋としての巴文様は、その成立時期から長保4年1002年)に定められた「御神楽ノ儀」による大太鼓触発される形で発生したしながら沼田引用した四天王寺聖霊絵巻』の大太鼓は、下座から見た図であり本来向きが逆であることを指摘。また『江談抄』や法隆寺所蔵大太鼓銘文、また『摂州四天王寺年中行事』の説明文なども大太鼓据え位置示してはいるが、いずれも巴の回転方向に対して言及していないと指摘した。さらに『四天王寺聖霊絵巻』『四天王寺屏風』『摂津名所図会』に描かれる巴文様や、また四天王寺伊勢神宮宮内庁などで使用される大太鼓描かれる巴紋回転方向バラバラであることを示して、本来「巴」における左右の意味は、二つ巴大太鼓右側)と三つ巴大太鼓左側)を据え位置を示すものに過ぎず、その回転方向示してはいないとし、当時三つ巴はどの方向回転していても左巴であり、二つ巴同様に回転かかわらず右巴呼んでいたのではないか論じている。そして対で用いられ大太鼓から一個文様描かれる家紋となり、その回転方向指し示す必要が生じたことから混乱始まったとし、本来、大太鼓描かれる巴紋を表すものであり、頭と呼ばれる部分打点で、叩くことによって発生した轟音)が飛んでゆく方向、つまり尾が流れてゆく向きを名称とするべきであるとしている。

※この「巴紋の左右呼称論争」の解説は、「巴」の解説の一部です。
「巴紋の左右呼称論争」を含む「巴」の記事については、「巴」の概要を参照ください。

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